ちっちきちっち

BBAの壁を超えた記念碑

サカノウエヨースケ、坂上庸介について考える

 

f:id:chikichikichi:20190510230035j:plain

↑の雑誌の左ページは紛失してしまいましたが「ウワサの男!?」とあったと思います

2000年11月にデビューしたサカノウエヨースケ坂上庸介について自分のためにも書きたいと思います

大変キラキラしてる曲の数々を残しているサカノウエヨースケですがしっかりと暗い影も持っている

本当に人間らしい人だなぁと思うので軽い気持ちで聴くとなんというか振り回される、そんなアーティストと考えてます

どうしてそうなった!?というのがすごいのでざーっと時系列で

 

 

彗星の如く現れデビューを飾るサカノウエヨースケ時代

これ本当にこんな感じだったなぁと書いてて思います

時系列はほぼ覚えておらず残念なのですが当時浅倉大介の周辺が激動だったので追い切れていなかったですね

2000年になり、それまでメインの活動であったIcemanが休止し、入れ替わるように発表され続ける新たなプロジェクト

新人=ニューフェイスと呼ばれ、2000年夏に行われたDA's party βversionに出演が続々と決まり、まさに激動の1年でした

同期と言っていいのがThe Seekerで、まだK.ITO+D.Kという名前でイベントでお披露目されるという情報に衝撃を受けたものです

このイベント、βversionという名の通り以前の主流であったIMやTMR、PB2などは一切でない、まさにニューフェイスたちのイベントだったのです

中堅的な存在は木村由姫コタニキンヤ

そんなイベントの出演者の発表でほぼ最後に発表されたのがD.A.N.K、そしてサカノウエヨースケでした

D.A.N.K=Daisuke. Asakura. New. Kidsの頭文字です、

その名の通りなのですが、当時は「は?!」という感じで発表をラジオで聞いたのを覚えています

このDANKプロジェクト、viewsic(おそらく現music on TVになった)にて同タイトルのドキュメント番組が存在しオーディションを勝ち抜いたDANKのメンバー出演する当時流行っていたASAYANのような番組でした

後追いで見たので連動して放送はされていたと思うのですが、どれくらい並行して放送されていたのかはわかりません

もうとにかくニューフェイスニューフェイス言ってたので訳わかんねぇよ!ってなってたのです

とにかくなんだよDANKって、、、しかも吉本所属?はぁ!?何が起こってんだ、、、という感じ

以前から吉本興業との関わりはあったもののこんな形で前面に出てくるのか?と

不安というかどうなっていくんだと、期待もしつつ追えるのか不安みたいな感じでしたね(結局途中で諦めるので未だにちょこちょこ不明な部分多い)

まぁ、そんなこんなでDA' PARTY βverが間近に迫ったころ、多分1ヶ月きってたと思うんですが、急遽もう1人でます!ニューフェイスが!と発表があったのがサカノウエヨースケでした

 

おっ!と思ったのが、作詞作曲は本人が行なっているらしい、この浅倉大介ハイスピードリリースが続く中で編曲だけを浅倉大介が行うらしいという情報

正直みな「編曲しかしないからあんまり関係ないな」とかそんな印象だったんだろうなと思います

勝手に私は期待してた派閥でした(そんなのいるか知らないけど)

編曲しかしない=恐らくベースがあるんだろう!

しかもストリート出身と聞いたので楽しみにしてましたね

ライブ自体には行けなかったんですがね!!!!めっちゃ後悔してます!

 

ライブも終わり、参加した人の感想を聞きましたがやはりニューフェイスたちの入り乱れるイベントなので情報がめちゃくちゃでしたね

そんな中でもサカノウエヨースケは「声が高くてかわいいタイプだ」みたいな情報がよく聞こえてきました

ストリート出身の10代だと聞いてたのでどんな曲とか全然わっかんない訳です

勝手にアコギだけ持ってオープニングアクトやったって聞いてたので「若いゆず?!」みたいな気持ちでいました

 

そんな中で浅倉大介が音楽を務めるアニメ、グラビテーションのインフォメーションがありました

音楽監督!と期待したのを覚えています

そのオープニングの曲がサカノウエヨースケに決まった

これがデビュー曲 SUPER DRIVEでした

SUPER DRIVE

SUPER DRIVE

 
グラビテーション TV-tracks

グラビテーション TV-tracks

 

 

上記したニューフェイスの曲もごっそり使われるとわかり1話をTVの前で待機してましたら流れたCM、

これが私のサカノウエヨースケとの出会いでした

 

めちゃくちゃ度肝抜かれましたね

今考えたら当たり前なのですが、ゆずが出てくると思ってた訳ですよ

流石に盛ってますが

 

まあ、パツキンのパンキッシュな風貌の、でもナチュラルな顔したにーちゃんが舌出してて、こんな浅倉大介プロデュースアーティスト見たことない!と思いましたね

明らかに毛色が違うのがきた、と

 

結構浅倉大介の周辺って作り上げられたアーティストたちが多いと思います

一番サカノウエヨースケに近しいと感じるコタニキンヤでさえカッチリと固められたDarwin Inc.のベースを感じるというか

それが全くない気がしました

それがなんとなく心地よく感じた気がして

浅倉大介の音楽からは離れたくはない、だが世界が狭くなる気がしていた中で風を感じられる

嫌な言い回しになっているかもしれませんが、私にはそう感じました

これは一種の才能の共演かな、と

 

そんなこんなで激動の2000年の年末11月にニューフェイスが入り乱れる中で浅倉大介プロデュース曲SUPER DRIVEにてサカノウエヨースケが彗星の如く現れてデビューを飾ります

色々裏でこう動いてたんじゃないかってこともあるんですが吉本、ソニー、業界といろんなことが本当に混ざりつつ色々動いてたのではないかと憶測してます(テキトー)

 

2nd〜TOYまで

トータルプロデューサー浅倉大介とクレジットに記載があったのですが、

このまま浅倉大介プロデュースの1人になる、という空気はあまりなかったように思えます

どこか上記した通り少し外れた存在のようなポジションにいたように感じられたのがサカノウエヨースケでした

 

SUPER DRIVEから約4ヶ月経ち春風がリリースされ浅倉大介の発言を聴いていると

サカノウエヨースケ君は若いからどんどん曲を書いてくる、アレンジが追いつかなくて大変だ」だとか

サカノウエヨースケ君とディズニー映画(たしか102)見に行った」だとか

よく名前が出ており、曲も毎週のようにかけていたのを覚えています

吉本繋がりでタイアップも全シングルについていたり、絶えず情報が流れてきていたなと感じていました

そんな中で、3rdのカップリングに見慣れぬE'S ARMという名前が

ジョバンニ

ジョバンニ

 

この名前、ソースも見つからず当時の記憶で何となく知っているので本当かどうか定かでないのですが、

SHAZNAのボーカル、IZAMと記憶しています

イーズアーム=イザム

ですね

どうして知ったのか全く覚えていなくて調べなおしたいのですがファンの発言くらいしかひっかからないという

直前にAQUAという曲をSHAZNA浅倉大介が提供していたこともあり、関係のありそうなアーティストが周りを固め関わっていたように思います

ソニーの抱えてる編曲家とかがとにかく関わってるんだろうな、みたいな、詳しくないんで勝手な印象です!

 

デビューより約1年がたち、4thシングルラベンダーがリリース

ラベンダー

ラベンダー

 

ここまで変わらず甘酸っぱい青春!という曲を浅倉大介が編曲をしリリースし続けていましたが、転機が訪れます

5thシングル、恋のサバイバルナイトフィーバーがリリース

恋のサバイバルナイトフィーバー

恋のサバイバルナイトフィーバー

 

編曲はE'S ARMとクレジットされており、浅倉大介編曲のクレジットが一切無くなります

恐らくですが1年間、4曲の契約だったのでしょうか

理由は不明です、浅倉大介の活動から見ると、accessの7年ぶりの活動を控えており、

翌年の2002年には過労で倒れたような出来事もあったことから本当に忙しかったからでは?と思います

が、浅倉大介のクレジットがなくなった後の2曲がまた素晴らしい、、、

この2曲が私は好きでたまらない

(別に編曲が誰だからという意味ではないのであしからず)

おっそろしくいい曲です

浅倉大介の手を離れた後のこの2曲があったからこそ2019年になってまでこんな記事書いてると本気で思いますね

 

こうした形で浅倉大介の編曲時代を経てE'S ARMそしてランプシェードではchokkakuが編曲

ランプシェード

ランプシェード

 

chokkakuという方、浅倉大介周辺でわかりやすく例を挙げると貴水博之のI&Iの編曲をした人です

知っての通り、売れっ子アレンジャーさんがここでも出てくる

どうやってどうしてこうなったのか

クレジット関係を見ていてここまで面白いアーティストも珍しいかと

あんまり業界とかわかってないんですがそれでもすげーとなります

というかどれだけ売り出されていた、期待されていたのかがわかるかと

 

そしてリリースされた1stアルバム

このアルバムと6thシングル、ランプシェードをリリースした2002年末

浅倉大介と所属していたアンティノスレコードは荒れ始めていた頃でした

アンティノスの稼ぎ頭であったTMRがほぼ活動を行わず、ソニーミュージック浅倉大介CCCDの導入問題が勃発し、2003年にはアンティノスは空中分解します

その直前です

ランプシェードとTOYのリリースはアンティノスの親であるエピックソニーへ移籍してのリリース

確かアンティノスレコードからCCCDではないシングルを最後にリリースしたアーティストがサカノウエヨースケだった気がしてます

それかエピックから、めちゃ適当ですいませんがそういった形でソニーの歴史に名を刻んでるんですよね

TOY

TOY

 

そして2003年が訪れ、アンティノス空中分解

サカノウエヨースケは上記の通りエピックへ移籍済みです

だがここで一切の活動がなくなります

売り上げなのかなとちょっと思ってもいます

正直やはり凄く売れたわけではないのです

本人が「俺の曲をこんな風にして売り出しやがって!」と思っていて決別した?

これもどうやら違う気がします

やはりアンティノス空中分解とCCCD問題にて浅倉大介が一切のリリースをやめたこと、その辺もあるんじゃないかなぁ

いや、でも、、、と謎ばかりでした

 

そんなこんなでサカノウエヨースケ(私から見てですが)消息不明となります

 

それから私自身も動きのない浅倉大介にしびれを切らし、全く他のアーティストを追い出します

再度サカノウエヨースケに出会うのは2005年ごろ

 

Callリリース!闇!

とある西川ファンが「お前の地元にサカノウエヨースケ坂上庸介と名を変えてストリート全国ツアーでやってくるから行こう」と声をかけてきたのがきっかけです

2003年ごろというのは何度も言うように激動の時代で、西川ファンも浅倉大介ファンもその他のアンティノスに関わるアーティストたちは本当に全てが宙ぶらりん状態

西川ファンの友人はいつのまにかサカノウエヨースケにたどり着きずっと追っていた様子でした

まじめに昔はそんな距離感でみな彷徨ってた感じ

 

「とにかくMDで渡すから、坂上庸介の」といわれ、借りたMDきいてぶっ飛びました

この印象はいつまでもかわらないと思います

 

CALL

CALL

 

これです、もうジャケットからカオス

めちゃくちゃサカノウエヨースケのあのキャッチーな明るいポップに乗る凄く明るいあの歌声

ここまでは一緒なんですけど、ポップなんだけどロックに傾いた曲調と、

何より 真っ黒な歌詞

ブックレットも闇!!!やんでいる!!!!

帯を裏返したらボーナストラックの歌詞が書いてあるんですが、ブラック!!!!!!!!!!

 

どうしたんだよ、と、あんなに明るい可愛いにーちゃんが

何があってこんなことになったんだ

 

正直凄くキャッチーだから簡単にすんなりときけてしまうんですよ

歌詞で何を言ってるのかとか考えずに流してしまう

そして歌詞を追うととんでもない闇

これはやばいことです

さっとひろっても

それでも君が笑うのならば僕は君を許さない

揺れ動く感情にこんがらがり影を手にいれてしまったようだ

もっと僕の頭が良かったらどれだけ上手く生きれたんだろう

アリみたいに小さな男は僕に言う、君が望むならなんて、冗談じゃねえ

僕の部屋の中飛び回るTVの虫をやっつけろ

人の目の中で生きていく事を選んだ俺なのにI LOVE YOUさえ言えない弱虫です

神様とケンカをやめた日から 2年が経とうとしていたんだ 気づけば何も残してないや… 気づけば何も残ってない…

 

まだまだ、まだまだ、まだまだまだまだあるんですが、

何かがあったとわかります

それでも君が笑うのならば僕は君を許さない

これなんて1曲目なんですよ、どうしたんだとしか

当時やはり西川貴教が荒れに荒れていた時期でもあったので同様の何かがあったと考えたんですが、矛先がどうなんだろう、わからない

う〜ん、、、みたいな

 

凄く危険な空気を感じつつ、貸してくれた友達に「どうしたの?」と聞きました

 

「このアルバムが出る前に尾崎豊のトリビュートアルバムへ参加し、それ以外にもクリエイティブな分野に傾いてアメリカ行ったり絵書いたりアーティストになってるよ」

 

と、さらりと

ちょっとこのファンがすんなりと受け入れてるギャップ的なものにも違和感覚えた覚えあります

尾崎豊のトリビュートはこれ(いまだ聞いたことない)

GREEN ~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI (CCCD)

GREEN ~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI (CCCD)

 

このファンとの、現実?とのギャップ?違和感がまた魅力と今ならちょっと思います

はざまで揺れ、闇を感じるからこそ魅力にも繋がるくらいこのアルバムは本当に訴えかけてくるものがあると私は思っています

 

とにかく、あまり突っ込んではいけないのか?

と、とりあえず見に行こうとストリートライブに行きました

 

地球カフェ、ストリートライブ

一応場所は群馬、高崎でした

 

到着するなり「おー!!!きたでー!」みたいな、それはデビュー当時と変わらない、明るいサカノウエヨースケ坂上庸介でとても安心したのを覚えています

集まったファンは10人そこそこ、アコギで弾き語られるあの曲この曲、正直そわそわしっぱなしだったのでgood moning musicをやったことしか覚えてないです

帰り際にAXでライブを行う、ハンカチがチケットがわりとなるのでハンカチを買って巻いてきて欲しい、という告知がありました

インディーズを楽しむというか、あの輝かしいメジャーからストリートに舞い戻ってもそんな風に音楽を続けている姿がとても印象的で、チケットのハンカチを購入しAXに行くことにしました

 

どんな話で出たワードだったか「約束な〜」と言っていたのをとても覚えています

そんな話をしながらちょっと感じていた(私だけかもしれませんが)のが、

目が死んでいる!!!!!

そう思ってしまったんですよね

やはりCallというアルバムを聞いたからかもしれません

そうだと思いたい気持ちもあるのですが、当時は思ったのです

正直に申しますと初期というか3rdあたりをだした頃からどこか目が死んでる!と思うことあったのです

でもそこはミュージシャン、芸能人、そんな時も多々あるだろうと別に追求も嫌悪もしません

若くして頑張っていると考えていたような気がします

なにより、アーティストってそういうことかな、みたいな

そんなこんなで混沌としていた2000年代初頭の終わり2005年だったかと思います

AXにて初めてスパイラルスパイダーズと坂上庸介のライブを見に行きます

f:id:chikichikichi:20190510223846j:plain

 

これがすげーーーーーよかったんです

しんしんと降る雪のようなランプシェードのアレンジを今でも覚えています

友達同士で遺言という思い思いテーマの曲にノリノリで踊っていたら友達が号泣し始めたり

初めからずーっと泣き続けるファンの女の子がとにかく印象的でした

表面だけでなく身に刺さるような曲をライブをやるという印象がすごかったです

坂上庸介の歌詞にあるように「僕から削り取った言葉は世の中を走っていく」というのが見えた気がしました

この明るさと重々しい闇

なんというバランスなんだと思っていました

他のオーディエンスもそう受け取っていたのでしょうか

笑顔で、でも本当のことは言わない

そんな感情で私は見ていましたが全員が同じ思いをしているかはわかりません

ただ、そんな風にライブを見ているのだとしたら

やはり恐ろしいライブが行われていたと思います

何度も足を運んでいたわけでないので「いつも」がわからないのですが

アンコールラストでステージに客の半分ほどがバーっと上がったのに驚きつつ私も登りました

あれはなんだったのでしょう

そんなライブ見たことない、本当に楽しかった

 

(私にとっては)混沌の中でAXライブが終わり、上記の画像の通り、メジャーデビューが発表されました

これに合わせ行われたライブがついにやってきます

 

東京ドームにて無料ライブ!

画像が残っていたので載せておきます

f:id:chikichikichi:20190510224724j:plainf:id:chikichikichi:20190510224729j:plain

f:id:chikichikichi:20190510224853j:plain

f:id:chikichikichi:20190510224850j:plain

f:id:chikichikichi:20190510224847j:plain

f:id:chikichikichi:20190510224844j:plain

200人限定で無料招待でした

画像の通りのところでマウンドには入るなときつく言われたのをよく覚えています

Youtubeに翌日だったかのめざましTVで取り上げられた映像が上がっています

たしか絶対負けない弱虫の歌をやったかなと

 

このライブを見て、私はなんとなくで坂上庸介から離れます

単純に友達とあまり連絡を取らなくなったからとかです

坂上庸介自体も活発な活動がすぐに行われなかったように思います

タイミングだったのでしょう

 

コタニキンヤと再共演、雛鳥の皺寄せ

そんなこんなで何年も離れていました

思い出しては曲は聞いていましたが、再度サカノウエヨースケに出会うチャンスが訪れます

それがほぼ同期であったコタニキンヤのこのイベント

「雛鳥の皺寄せ」


「雛鳥の皺寄せ」ダイジェスト

結局行かなかったのですが、この謎タイトルをつけたのは西川貴教

わかりやすくアンティノスの雛鳥たちに皺寄せがなされた結果のイベント


「アンティノスてれび!?」復刻版 #06

 

映像だけ見た印象は、やっぱりまだ目が死んでいたとちょっと思っています

そしてまだこうやってコタニキンヤと交流があるというか、共にイベントに出るんだなと思いました

まだこの時も「なつかしいな、元気だったんだ〜」程度でした

再度名前を見た時、というか定期的に調べているうちに、なんとあのD.A.N.K.とRUN&GUNで共演していた米原幸佑とヨースケコースケというユニットを結成しているではありませんか

衝撃でした

まさかそこが繋がるのか

そして最近コタニキンヤがオーガナイザーとして行われているイベント、 EDKに出演とばかり思っていました

あれ?いつまでたってもしない???

疑り深いだけかもしれませんが、雛鳥の皺寄せでなにかあった?

 

わかりません

一番出やすそうで出てくれそうなものなのに

本当にわかりません

Twitter浅倉大介に偶然出くわした際に「師匠〜」と慕っていたところを見てもそう言った良くない何かがあってという感じではなさそうです

EDK自体も当時の再現をしている出演者の選び方をしているように感じるところがありますのでなんとも、、、

なにかあるのかな、と思ってしまっています

いつかでてくれたらなあということで

 

そんな感じで時は流れ2019年にまで飛びます

 

TOY再現ライブ!

まままじか!と!!!

いくしかないと思いました

行きました、2公演

やはりライブで全曲聞くなんて夢のまた夢だったのですよ

内容に関しての感想も多々あるのですが、何よりも思ったことはひとつ

目が死んでいない!!!!!!

と、ほんとやなやつですいません

でも本当に何があったのってくらい違ったんですよね

紆余曲折ありすぎてここにたどり着いた、ヨースケコースケ、このTOY再現にたどり着いたんだとふと感じました

そしてギターの白石さんがさらっと言った一言に「Callも最高だよ!聞いてね!」みたいな一言があったんですが、どんな意味かとかないです、なぜかそれであの闇はもう晴れきっていると感じてしまったんですよね

なんでだか、そんなさらっと言える、いち作品としてカウントされていると感じられたというか

暗い過去だったのかもしれませんが、それも一つの歴史で坂上庸介の作った作品だよ!とあっさりと凌駕されたような感情でした

 

長々と書きすぎて何言おうとしてたのか全くわからなくなってしまったのですが、

私の存じているサカノウエヨースケ坂上庸介の断片的なものは残しておきたいと思っています

闇だとか明るいだとか感じ取るのは人それぞれなので考察でもなんでもしたいようにできるのですが、あんなにしゃべっているとおもしろいニーチャンって感じのサカノウエヨースケから溢れてくる音楽ってものには驚かされまくりです

また、「サカノウエヨースケ」というアーティストを聞いていきたい、見ていきたいと思ったTOY再現ライブでした!!!!

 

 

抑えきれない僕らのJ-POP

抑えきれない僕らのJ-POP

 

access(AXS)についてしっかりと考えてみたいと初めて思いました

本日面白い話を少々しましたので久しぶりに更新しようと思い立ちました

表題の通りaccessについてです

accessのことと言っても色々なカテゴリがありますが

 

 沈黙 についてです

 

私も浅倉大介のファンをだらだらとうすーく続けてだいたい20年が経過しようとしています(間めちゃ開いたり適当に追いかけてた時期が多いですけど)

ファン同士仲がよくなった人、こんな質問しても真意を汲み取って共に考えてくれるだろうという人に何度かある質問をしてきたんです

ただ、毎回皆「知ってるでしょ」という態度だったり、「これが答え」と決めつけたりでいつまでもどう考えても腑に落ちない答えしか帰ってこなかった

 

それがaccessはなぜ沈黙したのか」です

 

結構真面目です

無知と罵るのならそれで結構です

それはあなたと私はそこまで、という話だったのでしょう

 

これだけファンを続けていても、ファン歴が長い人に聞いても、結局みな答えはまちまち、大体こういうことと憶測でしかない

そんなことがあるのか

イギリス王室でさえオープンすぎて叩かれる時代だぞ

 

結構悶々としてたこともありましたがそんなの遠い過去の話です

どうせファンやってれば現状のほうが大切ですから考えもしなくなるもんです

 

それが今日、逆に聞かれたのですよ

「なんでだと思う?」って

疑問符で言われたの初めてだったのでびっくりしました

しかも今2019年です

2009年でも1995年でもないわけです

話の流れでなんとなく出た言葉でしたけど、感動しすぎてね、もう全力出すしかねえと

 

どうやってもそれっぽいことを匂わせて話したりすることはあっても「こうだ」という事実が浮かんでこないんですよ

噂レベルは無限にあります

聞いたことないわけないです、一応20年ここまでみてますからね私も

それなりに社会を知り、知識を得るツールもあり、資料もある

今もう一度真剣に考え直してみてもいいのではないか

 

別に本人たちに言えよ!とか思ってるわけじゃありません

もうそろそろ大人が全力出したらなんとかわかることも出てくるんではないかと

そんな感じです

 

まず聞いたことのある説と囁かれる説、その辺あげておきます

 

1. 契約問題

これが一番の定説です

ちょうど2年での活動休止という期間の設け方や2人の事務所が違うということなど
ただ、契約満期終了で人気絶頂のなか、どうして移籍という選択肢がなかったのか
選択できなかったのか、出来たのか、金額か、人か
明言されないのはそういうことか
ちゃんと謎なんですよ、音楽業界、芸能界のルールからちゃんと知れば憶測でもわかる可能性がありますし
よく聞きますが「●●だから」という●●の部分は本当にみな違います
信じない、ということでなく、本当かどうかをしっかりと調べたい

 

2. 不仲、仲違い、会社間やスタッフのトラブルなど

あまりあり得そうにないですが、若気の至りだとかスタッフが過激派だったとか色々あります
1番のハードルは私が浅倉大介方面しかみていないので貴水博之方面を調べ尽くさないとわからない部分ですかね
ただ、不仲はちょっとなさそうですかね、その後の浅倉大介をみますと
可能性はいくらでもありますので

 

3. 音楽性の違い
あるはある、ただ本当にそんな理由があったとしても都市伝説、神話レベルと思ってます

 

4. 謎の圧力、闇の組織

あるとは思います、時代背景とか色々絡むでしょう
ただ書いてても自分でバカが透けてて悲しい
ただ、あれだけ本当に何も言わないというのはアリなんじゃないか

 

5. 宇宙からの意思、家族や周囲の反対、その他

何かの思想や団体につかまったとか、いきなり豹変した親族が現れたとか、すんごい斜めからの何か
それこそわかるわけないか、とは思いつつも

 

ざっと思い浮かぶものはこんな感じですかね

検証に何年かかろうと、ここまで人生に関わっていただいたaccessなのですから

私は私なりに決着をつけてから墓に入りたいと思います

無論本人たちが真面目な顔して「実はあのときこんなことが起こっていたんです」って言ってくれれば終わる話です

ただそれを今の今まで話さないという選択肢をとってきたaccessの沈黙はそんな簡単なものでもないと思っています

もちろん夢を見せる職業に2人やその周囲が付いているというのもわかっています(一応)
本人たちの一存だとはさらさら思ってません

知りたくてたまらないわけでもないです、何度もそんな気持ちにはなりましたがもういいか、知らなくていいこともあるんだろう、という心境に何度もなってます

 

ただ、もうそろそろいいだろ〜ってだけです

そのうちまとまったら更新します(何にもわかんないかもですけど)

2018年12月平成最後のMDデジタル化!Hi-MDウォークマン MZ-RH1再使用への道

f:id:chikichikichi:20181202152130p:plain

この記事求めてる人いる、と思ったのでひさしぶりに

以前クッソな記事を書いて以前使用していたHi-MDですがmacのOSをあげたりなんだりしているうちに数年たった今全く使用できなくなっていました

 

昔の記事はこれです、恥です

chikichikichi.hatenablog.comchikichikichi.hatenablog.com

 

ちゃんと管理してれば違ったのでしょうがMac OSのヴァージョンが上がっていくうちにいつのまにかインストールしていたWin7に入れないなんてことになっていました

現行のMac OSはMojaveです

大丈夫、私には過去に入手したWin64bit版と本体がある!

SONY Hi-MD ウォークマン MZ-RH1 S

SONY Hi-MD ウォークマン MZ-RH1 S

 

 

 

これさえあればなんとかなるとWindows7をBootcampを用いて再インストール開始

 

ハイ、できませんでした

本当はできるのかもしれない、でもできないんだもんね!!!!
ま〜〜〜〜〜〜たこれだ!!!!!!!!

 

Mojaveのサポート対象からWindows7が外れてるのですよ!そりゃそうよね!
OS上げた私が悪いさ!でも信者だから人柱でもなんでもやりたいの!!!!

巨大文鎮と化したiMac 2007にもやってみようと引っ張り出しました
前回なぜ諦めたのかもう忘れきってたんですが、なんとかOSのバージョンを低いままやればいけるだろうと頑張りました
結局恐ろしいことに光学ドライブ内臓Macは外付けドライブおよびUSBを経由してのOS再インストールはできないという結果が待ってました

 

なんかね、もう絶対ダメなんだって、検索してでてきたApple信者で高知識マウントマンであろう回答みて怒りが湧きました
これぜひみて欲しい、リンク貼る勇気ないし探し直すのダルダルだからやめるけど

 

とにかくさすがにもうWindows7なんて過去の栄光は捨ててはやく10にしなよ、さもないとと全世界から言われてるわけです

地獄、これは地獄です

 

残る手は2つです

がんばって調べましたけどシステム、プログラム面全然わかってねえクソ三十路サブカル女が考えつくものなんてたかがしれてますが

1. Apple製品独自のルートを諦めて仮装OSソフトを入れてWin7を復活させる
2. Windows10導入してなんやかんややってMacにインストールして使う
3. Windowsマシンを安く買う、可能なら7のもの
4. 検索に検索をかさねいくつかの奇跡と知識を存分に発揮し再度同じ環境を構築する
5.あきらめて寝る

4. 5.は避けたい、ぜったいにだ!

 

とりあえずWindowsがあればまだまだいける感じがするのです
どうせなら買おうとWindowsの安いの探しつつマシン組める人に聞く
Win7の環境動かせるマシン組むのだって今はたいへんだよ〜もうね、それ専用のもの買わないとなの!ノート買え!ノート!それが一番安くていいよ!

 

OK、そんな気がしてた

 

ノート型でwin7入りを検索、なるほどだいたい1万円ちょいで買えるのね

下のやつなんて会社でさんざん言われてる化石やないか…
まあ、だいたいの価格はわかったし安心ができました

ただですね、正直どうせMD取り込む以外になんて使わないわけですよ
いやどうせ使ったとしても邪魔なんですよ!

Mac信者ですからね、やはりMac上で完結させたい!ぜっっっったいにだ!!!!

 

MacにWindows10をインストールを考え出しました

だいたいWidows7が本当は動かしたい、そして10にするとX-アプリという取り込むためのソフトのインストールがなんか確か大変だったと昔読んだ気がする
Win7のライセンス1つ無駄にするのもなんだかなぁと却下しました

 

 

仮装OSソフトでWin7を動かす

これしかない、きみにきめ…たくないなあ
追加予算はあまりかけたくないです
でも楽そうだし…とりあえず無料体験版Win7が動いてくれるのかを見ることにしました

はい!!!!これしかない!!!!!!!

Parallels Desktop 14 Retail Box JP(通常版)

Parallels Desktop 14 Retail Box JP(通常版)

 

なんと素晴らしい事でしょう。Bootcampなんてクソだった!!!!!!
今なら!はっきりと!!!わ!か!る!!!

金額はだいたい個人で1ライセンスなら8,000円くらいだった
Win買うよりやすい!

Mac用ソフトですからね、キーの配列とかで困ることもない、ファイルの共有もBootcamp使用してたころよりだんぜんいい!!
なんだったんだこの数時間は

Windows7、しっかりふつーに動いてくれました
しかも以前MacのOS上げた際に起動ディスクから消失してたWinのシステム拾ってきてくれてあの時がそのまま蘇ったのです
なんという素晴らしさ(当たり前かもしれんですが)

 

ただですね、数年の間になんやかんやしてたうちにX-アプリを動かせるよう設定していた時のアカウントは自身で消してたんですよ
なんでもいいんですけど、とにかくX-アプリを再度インストールが必要なわけです

ここのアクセスワードとかの解析たまにみてたんでうすうす感づいていたのですが、
X-アプリ、配布終わったくさい?

こわい話ですよまったくもって

そういうのが本当にいやなので基本ソフトのインストーラーは捨ててないので、インストーラーはありました

一応最新かということだけ確認するか!とSONY公式を見にいく

www.sony.jp

なるほどなるほど確かに終了している、そしてMusic Center for PCとかいうのが後続らしいがMZ-RH1には非対応みたい?

X-アプリの続投が決定ですね

ソニーからの配布が終了してますのでインストーラーを探しました、Google先生の検索上位にあったブログですんなりとweb アーカイブ使えば見つかるよって書いてありました

さすがです、難なく過去ページ遡ったらダウンロードさせてくれました

web.archive.org

これだからWebアーカイブのこと愛して止まない

 

そんなこんなでインストールしていろいろエラーでましたけど普通に使ってます

あと数年は安心かな〜

小室哲哉と浅倉大介のユニット、PANDORAはガチだから機会があるならば必ずみろ、聞け

大変クソなタイトルで申し訳ありません

私はビルボード大阪にてPANDORAを、小室哲哉の現役のライブ(現在)を見た一人です(昼公演だったけど)
小室哲哉さん=先生のファンではない私が何を言ったって雑音だろうと思いつつ、浅倉大介サイドから見た感想を書きたいなとずっと思っていたのですが

いかんせんまとまらない、知らないことが多すぎる、情報がでかすぎる、音楽的な知識がない、文才がないなどなど
全然書けず時間だけが過ぎてしまいました

2017年の浅倉大介の動きを考察してからこの日を迎えたいと思っていたのですが後回しとして一つもまとまらないですが記憶が、感情が新しいうちに

 

PANDORAの発足

私が最初にPANDORAが立ち上がったと認識したのは小室先生のインスタだったかと思います
なにか大きなプロジェクトが動いていたのは匂わせていたと思いますがあの「TK DA  NATSU」をしっかりと認識した初めてだったかと

正直こんなことになるとはつゆ知れず、私を含め友人たちとはふーん、くらいの印象で話していたのは覚えています(なんとも言えなかったのです)
言葉は悪いですがなにせ小室哲哉のことを私は知らないのです、無論日本を代表するアーティストであり、あの小室哲哉、と普通の人程度には知っています
そこに浅倉大介の師匠という付加価値がついた程度です

無論TMNのサポートとして見出してメジャーに送り出してくれた人くらいの知識はあります
ただ、ファンとは到底名乗れない、知っている人程度です、浅倉大介のファンなのでそっちまで行ってしまったら大変なことになると思って留めてるところもあります

浅倉大介しか見ていないファンは「先生とやるんだ、追うのが大変そう」「ついに来たか!」程度に思っていたと思っていたと思います
無論深く考える人もいたでしょう
何より小室哲哉自身「生涯最後のユニットだ」と明言しています

ですが「先生のことだからそんなことない」と勝手に考えていたところもあります
芸術家の人は本当にわからないです

 

PANDORAというアーティストネームが発表された後、もちろん由来も考えました
タンス(moog)と、タイアップの決まった仮面ライダービルドに登場するパンドラボックス、そして「タイアップが決まる前に小室先生が考えたそしたら偶然にも一致した」という発言から
タイアップ用のユニットで話が持ち上がり、この一回限りのユニットでシングルかアルバムかを出してそれで終わりなんだろう。なにせあのスタイルを貫く2人だ、筋書きでPANDORAはタイアップありきのユニット名だ

程度に構えていました

そして「小室哲哉の生涯最後のユニットだ」という発言を見てもそれは変わらず、
どうせ音楽に引っ張られて気まぐれにまた何かあるだろうきっと

そんな程度だったのです

私だけがそうとも言い切れないのではないでしょうか
今考えればもっといろいろなヒントは転がっていたでしょうが、そんなものでした

 

PANDORAが最初に人前に現れたMV撮影

PANDORAのシングル、Be The Oneが発表され、私たちファンにも聞けるような機会が増えました

そんな中でファンクラブ内の会員ページのみでMV撮影参加希望者の募集がひっそりと行われました
オフィシャルに乗っているので大々的と思われるかもしれませんが、この会員ページを毎日チェックしているよりもTwitterを見ていた方が情報が早い世の中です
応募期間も2日ほど、収録日は平日どまんなかの夕方から
見逃した人も多かったと思われます、ファンは試されているような告知でした

それでも参加した人の話を聞くと不穏な話を聞きました
なんとなくだけど小室先生は元気がなかった気がする、体調が悪かったのかな

失礼な話ですがいい年齢ですし多忙なことも知ってはいます
また病気もしたことも知っています
ただ事ではない!とまではいかなくとも、なにか引っかかる、とは感じました
その程度ですし、今考えればという部分も多いですが、健康面大丈夫かよ…という不穏な空気が流れました

PANDORAの最初の活動

PANDORAが最初に普通に売られているチケットを購入して見ることができる場所に姿を現したのは台場で行われたULTRA JAPANだったと認識しています
このイベントは浅倉大介ファンを揺さぶりました

浅倉大介の所属するaccessの25周年アニバーサリーツアーの初日に行われた為です
昼はPANDORA、夕方からaccessです
ただでさえハードなスケジュール、そしてULTRA JAPANは1日通しのチケットしかなく高額(2万くらい)、参加するという発表もギリギリ、浅倉大介は数ヶ月前に過労で倒れaccessのライブを延期したばかり

ファンというのはこういうとき複雑な感情に苛まれ声を荒げます
健康を祈ったり、accessとどっちが大切なのかなんて比べたり、黙って付いていくのがファンだと熱り立ったり

浅倉大介の心情を推測で語ると、それほどまでどちらも譲れないものだったと考えられます
そして「やるぞ」とGOを出したのは他でもない、多分本人たちです


単純にPANDORAを見てみたい一心で参加しました
何より浅倉大介の久しぶりにニューユニットです、始まりだけでも見てみたい、そんな感情です

本当のことを言うと、もう少し欲があったように思います
どんな浅倉大介でも見たいというような、どうしても何かを感じてしまう
これにいくことでファンとしてなにか重要なひとかけらをつかめるのではないか
みたいな欲です

 

実際に見た感想は、正直よくわからなかった、です
音楽の方向性の示唆があったのかもしれません、数曲作ったと発言していた曲も聞けました
ですが正直に言って印象は「いかついゴリゴリEDMな会場にいつものあの音楽をやるとカッコイイのにフワフワっとした2人がいた」くらいです
30分ぴったりのステージだったのでそんなものです、感性がないだけかもしれませんが

Be The Oneはやっとフルで聞けた、そんなこと歌ってたんだ!ビバリー小さいのにすごい声してる!浅倉大介はいつもと変わらずJDをブン投げる

そんな短い、小さめのステージを小さな記念日程度に考えて後にしました

まだまだPANDORAが見えなかったと思っています

印象的だったのはトラブルだったのかスピーカーが飛んでいたらしい、ということ
音量が小さく、出てきた直後になにやら耳打ちで慌ただしくコンタクトを取り合っていたPANDORAとスタッフ
そこまで目立つものでもなかったですが

また、左右位置をチェンジしてプレイするPANDORA、不思議な光景ではありました
機材は左右違うのだから位置を変えるなんて不思議に決まっています
そこはなんでもできる2人のエキスパートのプレイスタイルなんだと不思議な感覚を楽しみました

浅倉大介ばかりを見ていたわけでもありませんが、ふと見る小室先生はどうもフワフワっとなにかをいじっている程度で置かれている機材をゴリゴリに使い倒すようなことはしていなかったのも印象に残っています
結構な頻度で浅倉大介のリードがあり、それもまた不思議でした
DJスタイルだから先生は任せているんだろうか、そんな印象です(失礼ですが)

とにかくリードしていたのは浅倉大介だった、そんな適当な記憶しかありませんでした

 

2018年初頭の突然の衝撃

ようやく1stシングルのリリース日も迫り
ファンはPANDORAに注目と期待を寄せ始めていました

年始にサプライズで小室哲哉のクラブイベントにてPANDORAが披露され
どうやって聞いてもBe The Oneはファンにはたまらない
そしてミニアルバムのリリースも発表され、2018年はPANDORAで始まる
サプライズなどではなく、ようやく予定を立て見に行ける武道館での公演と1stシングルのリリースが控えていた1月21日

あの発表がありました

 

現在予定されている活動をもって引退

 

経緯を語られ上記したものにハっとすることしかありませんでした
FANKSの方々には声もかけられないような話です
ウソでも優しさでも「気持ちはわかるよ」なんて言えません

ようやくPANDORAの見えなかった真意が判った瞬間でもありました

ファン目線でしか考えられませんが、ファンはだまりこむ人ばかりだったと思います
悲しみうつむいている人ばかりでした

みな数日後に控えていた武道館での超英雄祭に希望を託していたと思います

 

超英雄祭、武道館でのPANDORA

やはりここで見たPANDORAもどうしていいのか、どんな風に見たらいいのか
構え切ってしまっていてどうしようもなかったと思います

ただ、そこでなんとなく申し訳なさそうな、ふわっとした小室さんを見て、何も言わない浅倉大介を見て、安堵というか、ただの1つのライブだったのだと私は思いました(悪い意味ではないです)

2人ともに背負ってきた歴史があるのです、今日をやりきった2人なんだと感じました

この時もまだ、私はこの2人はベストマッチだということは全く理解していなかったと思います

 

そして迎えたBillboard live大阪

ご存知ない方もいるかと思いますが、このビルボードライブ大阪(2回公演)の夜公演にて小室哲哉さんは最後のステージを迎えます

チケットを取った時はそんなことも知らず
「倍率が高いこのライブのチケットを取るため昼公演に申し込んだ。思惑通りなんとか取れた!行けたら夜も行こう!」程度でした

まさかこんな小さなステージでその時が訪れるなど思ってもみなかったのです

ただの感想となってしまいますが、思ったことを純粋に書いておきます

 

人が会話をするには言葉、ジェスチャーが必須と考えていました
当たり前ですが、天才同士の会話というものを見たことがなかったのです

ULTRAJAPANやそれまで目にした2人と全く違いました

音楽の知識がないものにもわかる、2人の天才の会話が音楽としてそこに存在していたと思いました

こればかりは2人を目の前にし、体感しなければわからない
そんな五感を使ってライブを見たのは初めてです

音1音の情報量が2人の間ではただの1音ではないということを見せつけられました

以前よりホテルの一室で曲を作っているのはメディアに載っていましたし、1泊で別荘地に行き、撮影をしながらも数曲作ったなんて話も聞いていました

実際のところはどうせ「こんな曲にしよう」なんて話をして互いに(特に浅倉大介が)持ち帰り「こんな曲はどうでしょう」「ここに手直しする」なんてやりあっていたんだと思っていました

そんなやりとりは不要だろうと今なら分かります

実際に2人でリアルタイムで作っていたのでしょう、あの短期間で
そんなことわからないのが事実ですが、言葉や形にしてからのやり取りなど必要ないのだと感じました

完全にPANDORA(特に全く実態の知れなかった小室さん)をなめていたのです

 

私のような凡人にも言葉を交わさずに1つの物事を他人と一致団結し作れることがあります
主に仕事仲間と大変な仕事を任されこれはやってのけるしかない!と窮地に追い込まれながらもやり遂げようとした時です

気心の知れた仲間に「相手はこう考えているだろうからこれをまかせよう、その間に私はこっちを」なんて感じで考えてベストを探ります
それくらいでしたら誰しも経験があるのではと思います

この2人の決定的な凡人との違いは、才能とセンスと数々のヒットを生み出してきた経験、そして長年の信頼

確実に凡人の「会話」なんかとは違うと思いました
互いに探りなどせず、全力で音楽をぶつけ合った結果が最高に面白く美しくそして綺麗な音楽となっているのです

初めて本物のセッションというものを見たと思いました
ありきたりなバカみたいな言葉しか出てこないのが本当に悲しいです

そしてどうやってもこの感覚は言葉に乗せて伝えるには無理があるということ

またバカみたいな表現になってしまいますが、
あの時一番近かった現象は漫画「サトラレ」の「サトラレ同士の会話」でした

一応補足しますと、サトラレ(考えている事が他人にすべて悟られてしまう人、その代償として何かしらの天才として生まれる)が窮地に陥った際、近くにいた別のサトラレに常人では理解しがたい研究のすべてを情報伝達するというシーンがあり
そんなことを音楽でやっているのではないかとさえ思える状況でした

PANDORA、小室哲哉のラストステージを終えてしまった今、本当に求めていた人へあの音楽が伝わらないということをとても残念に思います

私自身、あの90年代の小室哲哉時代と呼ばれる音楽を聴きながら育ちながら
そしてその時代が去った今はどこか斜に構えて小室哲哉の現在を受け取っているところがあります

当時の曲を聴き、やはり良いものはよいと思いながらも去っていったものと心のどこかで感じている

そんな悲しい印象をいつも持っていたのが本音です

ですが、このライブでの小室哲哉はそんな過去に未練を感じるような感情は一切ありませんでした
第一線で戦い続け、なおも進化を止めず、そして音楽とともに生きている
そんな師匠小室哲哉とそれを全力で尊敬し自身の道を確実に走った浅倉大介を見ました

 

一度でいいので天才の会話をたくさんの人が感じ取ってほしいと願わずにはいられません

 

 

Blueprint(Blu-ray Disc付)(初回生産限定盤)

Blueprint(Blu-ray Disc付)(初回生産限定盤)

 

 

 

Be The One

Be The One

 

 

 

Be The One(DVD付)

Be The One(DVD付)

 

 

TMRのセットリストについて考察したい

f:id:chikichikichi:20170624060930j:plain

www.m-on.jp

SSAでの公演のオンエアを見たので

正直に申しまして、私は2006年ごろ、10周年ごろを境にT.M.Rからは離れた人間です

今でも時たま、これは何か起こるのでは?とピンと来た公演には足を運んでいます

今年5月13日のさいたまスーパーアリーナでの公演でTMRのセットリストについて思うところがあったため書き留めたいと思います

 

セットリストにおいて重要視されるWHITE BREATHの存在

この曲に関しては確信を抱いている部分があります
TMRのライブで必ず演奏され続けているWHITE BREATH
理由はひとつであり、一番のヒット曲で代表曲だからということでしょう

今までのすべてのセトリを検証したわけではありませんが、このWHITE BREATHに関しては私が見たほとんどのライブにて、後半に演奏されてきました

おそらくという範疇を超えられませんが、確実にシングルの代表曲として必ずセトリに組み込んでいると考えられます

 

また、古い話ですが1990年代後半にまだネタ扱いをされて苦悩した西川貴教が当時のプロデューサーであり共同制作者である浅倉大介にツアーで回っている地方から
「もうシングル曲をライブで歌いたくない」
という電話をかけてきたことがあり、浅倉大介
「それは違う」と、シングル曲のライブでのポジションを諭したというエピソードがあります

・意図としては有名なシングル曲を聴きなんとなく気になった人がライブを見に来ている
・その曲から好きになった、など思い入れのあるファンがいる
・構成、映像素材などとして代表曲が歌われることはセオリーである
そんなところでしょうか

シングル曲はライブにおいてとても重要です

自由にセトリを決めているようなアーティストはそういないでしょう
WHITE BREATHとはTMRのライブの中枢を握っている曲でもあるのです

 

最新シングル曲とは

代表曲に続いて、重要視されているのは近年に発売された新曲でしょう
最新シングルをやるのは当然というのは、なんとなく分かる話です

上記したとおり、新規層のファンはこれを聴きに来ていると言って過言ではありません
むしろ最新シングルをやらないライブ構成=自身の活動を否定しているようなものです

 

全体を決める、曲のセトリのなりたちとは

TMRのように曲数も多く、バリエーションが豊富なアーティストはライブにて必ずコーナーというものを設けています

流れを作るためにも必須ですが、TMRではそれがわかりやすく見えるように思います

1.オープニング
ライブ全体のテーマと言ってもいいものでしょうか
アルバムツアーならばキーとなるような曲と演出がなされています

2〜4.各曲の色を出したコーナー
これが大きなキーとなります
バラードのコーナーやダンサブルなコーナー、意外性のある演出など

5.ラストに向けての盛り上がりの曲
テンポが早く盛り上がる曲が大前提です

6.アンコール
最新曲、アンセム的な曲など

大体はこのような感じでしょうか


当たり前と思われるかもしれませんが、そう思う限りこれがベストであり自然な構成と思われます

コアなファンならば、この1.オープニング、5.ラスト、6.アンコールはやはり想像がつくものであり、マニアックな嗜好に走りがちな2〜4.を好むかと思われます
その選曲を見つつ、このツアーにもっと行きたいなどという感情が生まれたりするものではないでしょうか
もちろん、それは構成全体にも言えることです

 

TMRがファンクラブ向けライブにて覆したセトリとは

ここからは完全な考察であり、賛否が問われようと、一個人の見解としてみていただければと思います

2008〜9年ごろのファンクラブ会員向けのライブ、イヤカンにてとある試みがなされました

内容は
デビューした直後のファーストツアーのセットリストをそのままやる

なぜこのような内容になったのか、それは語られた覚えがありません
(見てないだけかも)
ファーストツアーのセットリストをそのままやっただけ、楽しかった
正直当時のファンを見てそれだけの受け取ったように思えました(勝手な印象ですが)

ですが、そんなものではなかったと思います
このセトリには企画意図が含まれていたと考えています
そしてこの企画は2008〜2009年のライブすべてに通じていたかと思われます

イヤカンは年末です(YEAR COUNT DOWNですので)

 

翌年行われたライブのセットリストにおける選曲の約半分はデビューから2年目ごろ
つまりセカンドツアーや武道館を行っていたころのセトリを再現とまではいきませんが抽出しているように思いました
特に上記した2〜4のコーナーにあたる部分での選曲です

 

そして発表された2009年イヤカン(Zeppでの公演)
順番的に考えて3rdアルバムをリリースした1998年ごろでしょうか
イヤカン2009でのセトリも1998年当時と同じような印象を受けました


確信に至ったリアカン(2009〜2010のカウントダウンライブ)
こちらは4thアルバム、つまり東京ドーム公演を意識するようなセトリでした

 

どういった意図があったのか、それはわかりません
ですが偶然に選曲した、という部類ではないという印象を受けました
私だけかもしれませんが

 

この2009年ごろというのは大きく発表されてはいなかったものの、
活動を見ると転換期にあたり、
各曲をファンに振り返るように意図されたものだったのかもしれません
また、原曲の聞納めとして組まれたセットリストだった可能性もあります
イナズマロックフェスに「これからのTMRを作る制作側の人間といて今のTMRを見ておいてほしい」という理由で浅倉大介が参加したのは明けた2010年です
何かしらの区切りがあったように思います


個人的な見解でしかありませんが、この一年、
TMRはセットリストを時期に分けて再現をしているのではないかという印象を持ちました

 

 

さいたまスーパーアリーナでの公演のセットリストを考察する

2017/05/13,14

01.Preserved Roses
02.革命デュアリズム
03.夢幻の弧光
04.Zips
05.魔弾~Der Freischutz~
06.LOVE SAVER

-inst-
07.陽炎-KAGEROH-
08.月虹-GEKKOH-
09.雪幻-winter dust-
-inst-

10.WHITE BREATH
11.蒼い霹靂 ~JOG edit~
12.WILD RUSH
13.HIGH PRESSURE
14.HOT LIMIT

15.とっておきのおはなし~新説恋愛進化論
16.Albireo -アルビレオ-
17.UTAGE
18.crosswise
19.SWORD SUMMIT
20.DOUBLE-DEAL
21.HEART OF SWORD~夜明け前~

アンコール
22.RAIMEI
23.VITAL BURNER
24.CHASE/THE THRILL

アンコール
25.LIGHT MY FIRE


このセトリを上記した年代に分けると、逆順になっているのではないかという印象を受けます
個人的にはまさに20thのためのセトリだったのだな、という感覚です

 

①オープニング(サプライズ)
01.Preserved Roses
02.革命デュアリズム

②コーナー1(2003年ごろ、デジロック?思考)
03.夢幻の弧光
04.Zips
05.魔弾~Der Freischutz~
06.LOVE SAVER

バラード(TMR-e 1999年、クラシカル指向)
-inst-
07.陽炎-KAGEROH-
08.月虹-GEKKOH-
09.雪幻-winter dust-
-inst-


④ダンス(1990年代 ダンスミュージック指向)
10.WHITE BREATH
11.蒼い霹靂 ~JOG edit~
12.WILD RUSH
13.HIGH PRESSURE
14.HOT LIMIT

15.とっておきのおはなし~新説恋愛進化論

 

⑤ラストに向けて勢いつける(2000年代後半 強いて言うならBASARA指向)
16.Albireo -アルビレオ-
17.UTAGE
18.crosswise
19.SWORD SUMMIT
20.DOUBLE-DEAL

⑥アンセム的な曲、最新曲など
MC
21.HEART OF SWORD~夜明け前~

アンコール
22.RAIMEI
23.VITAL BURNER
24.CHASE/THE THRILL

アンコール
25.LIGHT MY FIRE

 

このような分類でしょうか
各コーナーでは当時のTMRの印象をそのままに組まれているのではないかと思われます

また、面白いのは時系列です
2〜4は逆順となっています

意図してのことなのか、流れでこうなったのか、定かではありません
ですがTMR-eが当時のままだとスポットが当たる中、そのほかのコーナーの曲
そしてアレンジを考えても、各ブロックにて当時を再現していたのではないかと思います

②にあたる2003年ごろにおいては演出とアレンジも再現していたように思えます

また、WHITE BREATHの使いどころも面白いものになっています

再現にこだわっているかのような印象を持たれるのも少々違うと思うので、付け加えますと、

あくまで現在のTMRで再現したら、こうなった

というものが前提にあるようにも思います

大きな要因としてやはり西川貴教とバンドメンバーの方向性が当時と全く違う
それでいて、当時をしっかりとリスペクトしているという感覚でしょうか

 

 

個人的な愚痴

何度も言うようですが、私は2009年ごろにもう自分の愛したTMRは別物になったのだと感じ、離れた人間です
上記したとおり、2009年ごろに行われた当時の再現(かもしれない)ライブを見て、もう原曲をやらないのであれば、あのコード感をすべて潰したようなアレンジを心地よく思わない限り、あきらめようと考えた人間です
それが悪いのではなく、カッコよく言うと「音楽性の違い」です

ここまで再現、というか昔からのファンや楽曲をリスペクトしているようなセトリを組みつつも、14日のラストのMCにてされた発言はどうしても引っかかるものがあります

西川貴教本人にとっての過去の楽曲を望むファンは懐古厨であり、活動の妨げでしかないのか、正直わかりません
ダンスコーナーとして上げたTMR初期の楽曲も本人としては2000年ごろに発言していたように古臭い音楽として、現在のアレンジにしているのか(TMR-eの次点で原曲が求められてるとこだとおもうんだけどな…)
そういったマイナスの印象をどうしても大声で言いたくなってこんな形で残しているのが事実です

ただ、以前に過去の記事↓でダラダラ書いたように、 

chikichikichi.hatenablog.com

西川貴教の歌声というものはやはりどうやっても代えられない恐ろしい化け物なのだと感じたのがすべてです

SSAの公演において不満点など言うつもりもありません

本音がききたい、その一心でセトリの考察をしたところです

また、なにかピンとくる公演があったら、季節を廻しに行きたいと思います

アンティノスレコードってなんか最高だったなぁと思い出す

アンティノスレコードとは

2004年(確か)に空中分解したソニーミュージック系列のレコード会社です

そんなに業界に詳しいわけでもないのですが、アンティノスレコードというレコード会社が好きでたまらないので、雑記ということで

 

まずロゴが本当に素敵

知っている限りこの2種類のロゴでした

旧ロゴ(1994〜1998年ごろまで/マネジメントはずっとこれでRECORDSがmanagementになってる)
f:id:chikichikichi:20170603022903j:plain

新ロゴ(1998年ごろ〜)
f:id:chikichikichi:20170603022913j:plain

PDFなどがほぼ出回っていなかった時代だったのでもうロゴデータさえ入手することもできないのが悔しいところ
特に新ロゴはオレンジを基調としたカンパニーカラーをしていました


オレンジのが全然見当たらなかったからパスを起こしたのがこちら

f:id:chikichikichi:20170603025943p:plain

ちっさいロゴしかもうネットにはないんです、パチモンでゆるして!

まあとにかくカッコイイしカワイイしで最高のロゴなんすよ

 

で、このアンティノスという造語、なんだよっていう
まずこれ、動くロゴだと自社の社名を自らの拳でブチ破っているわけです

なんという会社なんだと思いませんか?思いますね

ロゴの由来までは定かではないのですが、このアンティノス[ANTINOS]という会社
まず親会社にSONY MUSICがあります

そのSONYの頭にAntiをつけ、SONYを逆から読んだものを後ろにつけて、IYがかち合うためYをカット
つまり ANTI YNOS の略称

アンチソニーソニーの子会社なのに!

それでブチ破っているんじゃあないかと(存じませんが)
攻撃的スタンスなのがお分かりいただけたでしょうか?いただけましたね!

詳しく調べてもいないのでクソ考察になりますが、
アンチソニーといいつつもSONYの部分は逆順で書かれているわけで、これはソニーANTIしているわけではないのでは?むしろやっぱり大好きソニー
とも取れると思いますね、どちでもいいですけど
それにしてもいい社名だこと、本当に好き

 

攻撃的なアンティノスレコードの所属ミュージシャンと社員たち

調べれば調べるほど(といってもそんな調べてはいないけど)アンティノスの設立は奥が深いです
社名が語るアンチソニーを掲げたその代表取締役ソニーミュージックの当時副社長であった丸山茂雄
調べると小室哲哉のためのレコ社だったはずみたいな話も出てきます(wikiにのってた)
とってもかいつまんで言うとソニー小室哲哉プロデュース部門のために作られたレーベルだった様子
アンティノスの経営方針がまた面白いもので、販売流通しか受け持っていない
つまり完パケをもってきてね!売るから!という
実際そんな簡単じゃないでしょうけど、エンターテイメント業界としては面白い立ち位置じゃないですか、そんなの

これも勝手な考察ですが、当時個人のレコーディングスタジオだったりとか大量にもってて、なんでもできちゃうお金持ちアーティストである小室哲哉に向けた体制だったのかな、なんて思います(知らんけどね)

だが、小室哲哉はご存知の通りエイベックスに行ってしまい、レーベルはおきざり

そこでこのレーベルを利用しまくったのが小室哲哉の弟子、浅倉大介

アンティノス経営の主軸となっていたのは浅倉大介プロデュースであったT.M.Revolutionだったそうで

このTMRが雨風にさらされ続けたデビューから8年ほどを考えればどれだけ自由度が高いレーベルだったのかわかるはず(多分)

他のアーティスト、ミュージシャンももちろんいます

適当ですけどこんな方々

 

濃くて最高

 

まあ、面白いミュージシャン、アーティストを抱えまくったレーベルだったわけです
そしてさらに注目したいのがとっても密接に関係深かった坂西伊作氏の存在

明記されてるの見つけられなかったのですが、アルバイトという契約形態から社長になった?らしい

とにかく昔から大物ディレクターだったのですよ、アンティノス所属のアーティストの雰囲気やらは全てこの人が作ったと言って過言でない!

だいたいTMRが暴風雨にさらされまくったのはこの人あってこそ

そんな経緯もあってなのか、映像には力を入れまくっていたアンティノス
ネットが普及しだした1998年ごろ(だったはず)
まだ個人のPCは画像表示するのも必死という環境を脱したくらいじゃないでしょうか

アンティノスレコードは世界初のストリーミング形式の音楽番組を配信開始

MVを流しまくったり、レコ社社員のMCのねーちゃんとにーちゃんが適当な暴露をしたり、時代先取りすぎィ!って事をしてました

HPも当時のネットらしくBBSを設け、特定の人物に荒らされまくっているというカオスっぷりを見せたりとなんともエンターテイメント爆発なアンティノスレコード

TMR西川貴教ラジオで暴露されまくっていた社員のキャラも相当でした
(新人ミュージシャンの歓迎会はまずSEXの話から始めた、担当の女性社員は定期的にマイクロミニスカートで来てパンツを見せる、エロいと思っている言葉に「イス」を挙げる社員がいる、とかそんなの)

アンティノスって素敵すぎませんか

 

そんなアンティノスも経営があまりうまくいかなくなった出来事が起こります
これこそ適当な物言いですが

まず

T.M.Revolutionマイナスとマイナスをかければプラスになるとかいう充電期間

意味わかんないでしょう、言ってる本人が一番わかってなかったかもしれない!
単純にイロイロあってCD出さないわ人気も下火になるわATMレボリューションされるわで個人的にも混沌が訪れていた様子です
これが2001年ごろでしょうか
TMRの売り上げが主軸となっていたアンティノス
新人を発掘してもあんまり売れない
爆発的ヒットも時代の変化からかアンティノスでは生まれなかった時代かと思われます

さらなる追い打ち、浅倉大介までCD出さないとか言い出す

レコード会社とうまくやって来ていたのですが、時代の波かCCCDという規格をソニーが全社で導入決定
浅倉大介ソニーに猛反発し関係が良好とは言えない状態になったと思われます
2003年末の導入を機にアンティノスから自身でのCDは一切出さないという運命の岐路が

これだけじゃないでしょうけどやはり結構大きな出来事だったんじゃね?これっていう2つを挙げてみました
そこまでいちミュージシャンに力はないわw親会社ソニーだぞwってのもわかりますが
アンティノス黄金期と思われる1997〜2000年の売り上げは確実にこの2人が売れていたからこそという事実もあるのでそんな感じかと思われます

 

アンティノスレコードは空中分解

最高のレーベルがこうして文字通り消えて行きました
大半の所属ミュージシャンは路頭に迷う、もしくは親会社であるエピックソニーへと移籍

そんな中、最も路頭に迷っていたのがフラワーカンパニーズ
略してフラカン

2016年、なんとなく深夜番組を見ていたらアンティノス分解後、全く忘れきっていたフラワーカンパニーズがなんと出演している!
なつかしいなぁと見ていたらこの10年の経歴をざっと振り返る最中にまさかのワードが

2004年 所属していたアンティノスレコードが空中分解 迷走を始める

だいたいこんな感じ

笑いつつも涙が出ましたね
そもそもアンティノスレコードという言葉をテレビで聞くのは10年ぶりなわけで
そして迷走していたミュージシャンが未だにそれを引きずりながらも頑張っている姿に涙が止まりませんでしたね

大げさですが

全然わかってあげられないけど痛いほどわかる迷走の10年

アンティノスレコード、私は忘れないよ
(あとフラワーカンパニーズも、ついでに言うと同じく迷走しまくったコタニキンヤ.も、歌手:仲間由紀恵野村佑香も)

 

フラワーカンパニーズ/ヤングフラワーズ

フラワーカンパニーズ/ヤングフラワーズ

 
仲間由紀惠

仲間由紀惠

 
ナンダカンダ

ナンダカンダ

 
T.M.R.X’mas Party Box [VHS]

T.M.R.X’mas Party Box [VHS]

 
tk-trap

tk-trap

 

音について考える

昨日、久しぶりに大きな雷の音を聞きました
役場に用事があり外出中に通り雨に遭遇
晴れ間も見えていたため雨宿りして屋外で久しぶりに生の雷鳴を聞きましたが痺れるものがありました

決していい耳を持っている訳でもないのですが音に関しては関心があり、こだわりもあります

音質なんてそうそうわかりませんが、音楽を聴くからにはそれなりに受け取る側も必要最低限の環境は必要と思いイヤホンだけはお金をかけるようにしています
一番聴くであろうアーティストの推奨したちょい高級めイヤホンを使っています
こいつ

SONY 密閉型インナーイヤーレシーバー MDR-EX700SL

SONY 密閉型インナーイヤーレシーバー MDR-EX700SL

 

音楽を聴くために取り揃えた方がいいというものは他には一切手をつける気はありません
が、それなりに音楽に敬意を払う意味で購入しています

そして音に関して精神的なトラウマもあります

全国のおかあさんおとうさんに向けてちょっと考えてほしい
大人になったからこそ耳は大切に考えてほしい
そんな音問題です

 

私の耳は30を迎えた今でも特に聴覚障害などもなく健康です
といっても少々左耳が弱いです

 

理由は簡単で、数年前にインフルエンザにかかった際に高熱が続いて鼻水1週間以上止まらないという症状の末、耳が遠くなりました

よくあることなので最初は気にも留めていませんでしたが、2週間あたりでさすがに耳の聞こえ方が怖くなり始めました
ヘレンケラーの記事を読んだこともあって恐怖を感じて耳鼻科へ行きました

 

結果はなんてこともない

鼻水が出すぎて鼓膜まで到達してとにかく気持ち悪いグロ鼓膜状態になってます

とのこと

 

医者に見せられた症例の写真がマジで気持ち悪くてぞっとしましたが
難聴とかそういうものでもなく、一過性のものだと診断
結局鼻にチューブぶちこまれて鼻水吸いだされて終わりでした

ところがそれから数年経った今でも左耳はなんとなく聴力が衰えたまま
他人と比較できないのが辛いところですが確かにバランスはおかしいまま
イヤホンで音楽聞いたりすると悶々とすることが多々あります

 

そんな話を会社で先輩にしていたところ
いつもウザいくらいのリアっている先輩が神妙な面持ちで幼少期を語りだしました


小さい頃に高熱で耳がやられて実は左耳がほとんど聞こえないんだよね…

音楽も右耳のみで聞いているというのは私にとっては耐えられない事実です
ちょっとバランスおかしいくらいでもやもやするんですから
高熱って本当に怖いと実感しました

 

探してみれば周りに結構いるんです、若いのに後天性で耳があまりよくない人
同い年の友人がよくとなりの家からの壁ドンに悩んでいて、
ある日家に遊びに行ったところテレビの音がとても大きく
それを指摘し、同じ音源を聴き比べたところ明らかに聴覚が衰えていた
なんてこともありました

 

案外聴覚というのは日々の積み重ね的なものもあり、簡単に衰えます

競技かるた漫画のちはやふるなんかではとてもそれが大切に扱われていて、ちょっと感動します
ちいさな音を聞いて飛び出していくなんて、聴覚が全てといっても過言ではありません

 

環境というものはとても大切です

聴力に限らず、音の大きさは人の心にも大きな影響を残します
自身のトラウマを例にあげますと

私の実家は鉄工所を父親が営んでいて、とにかくクソド真面目でガンコ親父でした
毎日鉄工所内で大きな音を聞き、聴力はボロボロです
そして家に帰ってきたとたんにその鉄工所で有り余った体力を生かし、ドアなどを乱暴に閉める
本人は大きな音などには慣れているのでドアがとてつもなく大きな音で閉まるのなんて気にもとめない
「うるさい」なんて言ったら親に向かってなんて言葉を言うんだと、その大きな声で怒鳴り始める

私の幼少期のトラウマです
大きな音や声は人を追い詰めます
ただ静かに生活したい、親の元を離れたいという一心で一人暮らしを選択しました

父親が亡くなった今ではそんなことで会話さえも拒否した自分は小さい人間だったのだろうと考えますが
この大きな音に囲まれて過ごすというのは本当にストレスです
慣れていても、毎回ビクっとしているんです
小さな子供ならなおさらです

 

私は小さな子供に大きな音は最大のタブーと考えています
精神的にも、そして聴力のためにも

 

よくコンサートに子供を連れていくのはいいことなのか?という問題を聞きます
5歳から有料なんてのもよく見ます
耳が大きな音に耐えられるのは5歳からだからそれくらいからならOKなんて意見も見ます
公演中泣いている子供は邪魔だから入れるなという意見も見ます

 

私としてはとても複雑です
小さな頃からいい音楽を見る、聞くというのはとてもいいことに思えます
ですが、泣いているというのは明らかに大きな音にびっくりしているというのもあるでしょう
そして、聴力は一度失ったら簡単に復活するものではありません
子供の聴力のためにも大人でも大きいと感じる音を一方的に聞かせるなど言語道断です

 

そして、子供にも意思が確実にあります

音なんて関係なしに行きたい子供
母親にコンサートに誘われて行きたくないと思っていても、嫌われたくないと行きたいという子供
そんなのながったらしくてヤダ、という子供
いろんな子供がいます

親がしっかりと子供の意思を尊重して、行きたいと思うのならば私は最高と思います

ですが、子供に耳栓やヘッドホンをつけるなど、聴力を守る対策はいくらでもできるのです

 

聞こえているからこそ、当たり前と思うこの音はとても大切に扱っていくべきものだと私は考えます

 

 

 

 

SONY 密閉型インナーイヤーレシーバー MDR-EX700SL

SONY 密閉型インナーイヤーレシーバー MDR-EX700SL