ちっちきちっち

BBAの壁を超えた記念碑

浅倉大介と西川貴教の関係性というものに関してT.M.R-eを通して考察する、多分

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知っている人は知っている、この2人の不仲であるとされる複雑な関係性についての考察をしたいと思います

というのも、2017年5月13日にTMRが21周年を迎え、ある騒動的な出来事が起こり、ようやく気持ちが晴れた、ような気がしたからです

アツい想いすぎて、主観も入っていて気持ちのいいもんじゃありませんが、冷静に見つめられたらと思います

 

私は1999年にTMRというものに出会ってから兼オタというのを続けており、一方は必ず追いかけ続けてきたファンです
TMRから浅倉大介を好きになり、兼オタになり、その後西オタ(TMRのファン)になり、近年は10年ほどDAオタ(浅倉大介ファン)を続けています

気持ちの整理のため、この記事を書くに至りましたが、複雑すぎるこの心境はそうそうまとめられるものでもありません
私が知っていて、時の流れとともに消えていってしまうようなつたない記憶を伝えられたらと思うところもあります
どうやってもフラットに考えたり感情抜きで考えられないものがありますが
どうか同士の目に触れ、よい感情を持ってくれることを祈りたいと思います

 

 

2人の元々の関係性や魅力とは

私が2人を追いかけだした1999年はまさにTMRが最高潮を迎え、そして一区切り、という年でした
この当時のTMRというのは、代名詞といえる雨風が吹き荒れ、わかりやすくなおかつ大胆で世を驚かせるような広告展開や企画意図が満載の楽曲や構成をしていて一筋縄では語れない魅力のつまったものだったと考えています

 

楽曲に関してもTMRのトータルプロデューサーが浅倉大介である以上、西川の本質であるロックテイストを守りつつもダンスビートに溢れ
浅倉大介の根本であると思われるエレクトリックなピアノをベースとし、独特なリズム感や葛城哲哉のギター、そして曲をまとめあげるシンセサウンド、独特な声色のコーラス、魅力的な時代を象徴するようなSE、そして挑戦的であり遊びが入っているくせに奥深い、明るさに切ない影を落とすような歌詞、インパクトの塊のようなMV

そんなある一種の完成されたエンターテイメントがそこにあったと考えています

よい言葉が見つからないのですが少年ジャンプのようなものでしょうか

 

本人たちの思っていることはわかりませんが、当時は表向きのTMRの周辺のスタッフ、製作陣、そして西川貴教の本人はとても友好的な空気が流れており
たまに浅倉大介との対談などをしてもお互いにギクシャクしているという雰囲気は一切みうけられなかったものです
もちろんこれは浅倉大介がプロデューサーであり、浅倉大介が中心となっている事務所に西川が在籍していたという事実があって成り立っている関係性でもあります

西川本人もすべての主導権を事務所、レコード会社などに任せるしかなかったような時代です
発言権や決定権は本人にあったとしても、上司がいる会社員となんら変わらない環境だったと思われます

 

当時のラジオなどを聞き直しますとわかりやすいものですが、西川のレギュラー番組のゲストに浅倉大介を迎えてのトークと、通常時でのトークは当たり前ですが全く内容が異なります

浅倉大介ゲスト「次回のライブは年末年始カウントダウンです、楽しみですね、折角のタイミングですので来てください」

通常時「カウントダウンは家に居たい派なので嫌だと思っている、ファンも来なくていいっす」

飲み会で上司を持ち上げる部下、そしてその後に1人になった際に友達に電話で本音をグチる、そんな印象でしょうか

 

このころ2人が在籍していた事務所は(芸能界ではあたりまえかもしれませんが)ひとクセあるところがあり、TMNなどが在籍していた事務所から浅倉大介のマネージャーである女性が代表となり独立したという過去を持ちます

ざっくりと言うと浅倉大介の音楽のために独立した浅倉大介中心の事務所でもあったわけです

設立から浅倉大介のみが在籍する個人事務所でしたが1996年ごろに西川が入り、1999年に最大4人のアーティストが在籍していました

 

過去にルイマリーというバンドでデビューをし、第二の音楽人生を歩もうとしていた西川貴教はこの事務所にすべてを委ねている形でした

当時から西川のボーカル、そして音楽の方向性はロックを根本とするものであり
バンドスタイルでのツアーを回った感想を聞かれた際に
「今回はバンドスタイルだった、次はテクノになるかもしれない、意外性は常に大切に考えている、ロックでずっとやったりするかもしれないしね」と冗談っぽく答える中でも、バンドスタイルでやりたいのかな?という意思を汲み取れるようなニュアンスで発言をしていることがあったのを記憶しています

プロデューサーであった浅倉大介もそれはとても理解していたと思われ、
西川の根本である8ビートの歌声を高く評価した上で、その声を多方面に生かせはしないか、全く違ったテイストを歌わせることで違う面に生かし、西川という魅力を伝えることが出来るのではないかと画策した発言を多々残しています

浅倉大介は音楽に関しては超一流と言い切ってよい人です
自身の特性なども理解した上、さまざまな音楽ジャンルを組み合わせた独特なスタイルを駆使し、TMRの可能性を挑戦的に伸ばし続けており、なおかつ西川が一番活かせるものはこういう音楽、という大前提を持っています

 

こういった違う音楽の才能をもつ2人の力の共演がTMRの最大の魅力だったと私は考えています

 

the end of genesis T.M.R. evolution turbo typeD 、T.M.R-eという存在

1999年、TMRは東京ドーム公演を達成し日本を代表するミュージシャンの仲間入りをしたと思われます
ミリオンセールスを達成したり、オリコンチャートにて1位を獲得したりと人気の最高潮を迎えた1997,8年、その人気を証明する形で日本一大きな会場でのライブです
浅倉大介西川貴教本人たちは当時のインタビューにて共通して「通過点」というワードを使っています
のちに西川が
「後から別々に撮ったインタビューを見返して打ち合わせもなくそんなワードをお互いにキーとして出していて気持ち悪いくらい認識が一致していた」
と語るほど、本人たちにとってそれは真意であったと思われます

そんな中でTMRをさらに大きなものにするため封印し、ファンにその封印を解く鍵を委ねる

そういった形でこの長い名前のプロジェクトがスタートしています

西川本人が
「年末からずっと髪を切ることさえ禁じられていた」
と発言したようにこのプロジェクトは1998年の年末には決定していた様子です

この西川貴教の発言とは真逆とも取れる発言を1999年に浅倉大介が残しています

「封印を決定したのは東京ドーム公演の前日である、自然な流れで必要なこととして西川貴教と決めた」

といった内容です

こうした言ってはいけないと禁じられるもの、言葉にもアーティストイメージや筋書きをつけ、表現の一種などとして使用する部分もあるのがこの浅倉大介の所属事務所、またはレコード会社と思います

 

 

発言などをすることもなく、真意をつかむことができない事務所、制作スタッフ陣、レコード会社はどのような意図でTMR-eの企画を持ち上げたのでしょう

発言がない以上明確なことは言えないのですが、
当時を振り返り、売り上げという数字の部分を考えますと

TMRの売り上げは決して悪くなく、しかし衰退が感じられていた

ように思います
ダブルミリオンを達成した1998年の1月発売triple jokerから1年、1999年3月発売のthe forceでは売り上げは半分以下となっています
大ブレイクは続いていたものの、やはり永遠に続かないのは当たり前です
さらなるブレイクを見込むことは大変難しい、現状維持をするのはアーティストスタイルとしてもそぐわない、

新しい形でさらに驚かせるような展開をし、確実な固定ファンを獲得するのは必要不可欠
そして、西川が得意とする分野にバラード、何より歌唱力や表現力があり、浅倉大介の得意とする分野に幅広い音楽とコンセプトに沿った企画性のようなものがあります

もう一度、全く違った新たなものに最強の布陣で挑戦し、音楽性の幅を広げ確実な地位を作り上げる
といったところでしょうか

 

さて、本人たちのこのプロジェクトに向けた気持ち的なものはどうでしょう?

 

浅倉大介という人物はよく言っても悪く言っても感情を音楽で形にしたりはしても、発言や行動で大きく示すことは少ないと思います

大嫌いな音楽があったとしてもそれが必要とあらば自身のフィルターを通し変換し結局は柔軟になんでもこなすような部分があります

例にあげるとデビュー以前、新人サポートミュージシャン時代に大先輩である葛城哲哉に向けて
「不快な音、エレキギターの音は大嫌い」
という発言をしながらも葛城哲哉のギターを使い続け、そしてそのギターの必要性をしっかりと理解し現在では自身でエレキギターを弾くようになったほどです

 

音楽としての理論はしっかりとあり、必要のないものは音楽にとって不快なものという考えが一本しっかりと通ったバランス能力の持ち主です
プロデューサー、作曲者としてもどのプロジェクトにも全力投球する姿は垣間見えており
「一つの音楽を表現するために、この仕事を全力でやる、いつもどおり自分の中にある完全な最高の出来のものを視聴者に提供する」
というスタンスだったのは間違いないと思います

 

また、プロデューサーといえど、すべての展開を担っているわけではなく、いち音楽アーティストとして西川貴教と似たような立場にはあります
これをやれ、あれをやれと自分勝手に指示をだしているわけではないのです
1つの案件をベストな形で世に出すためには自分の才能を使っていかに最高なものにできるかをやっている、と考えてよいと思います
音楽アーティストですので方向性の示唆はします

が、最終決定権はやはりお金を出資し販売をするレコード会社のディレクター、所属事務所の社長などでしょう

そこをふまえ、綺麗に割り切っているのが浅倉大介です

感情という面では

「このプロジェクトをやっているということよりも、一つの音楽の形を作り出しているのが楽しくてたまらない」

といったところでしょうか
基本的にネガティブな発言は一切しないのでそのくらいしか言いようがありません

 

西川貴教の方はどうでしょう
当時について
「レコード会社を担っているのは自分だから周りを引っ張っていかないと、などのプレッシャーを受け、気がつかないうちに神経顔面痛になっていた」

などマイナスな発言を多々残しています
このプロジェクト最中のみでなく過去にもそういった傾向はあったと発言しており
精神的に限界を感じ始めていたのがこの時期という発言も残しています
「なんでやっているのか全然わからなかった、話が持ち上がった際に反対した」
など、やりたくなかったという旨の発言は増える一方です

 

また、逆にポジティブな発言も多々残しています
すべて音楽、楽曲に関する発言です

例として
TMRの曲をTMR-eのライブでやるのを最後まで反対したのは自分だった」
TMR-eのアルバムの構成は絶対に崩すことのできるものではなく、当初曲のトラック数を1曲にし、すべて通して聴いてもらうものにしようと画策した」
TMR-eの衣装、MVに関してのこだわりは相当のもので、一番楽しかったのは浅倉大介にどんな衣装を着せるか考えること、金額は相当なものになっており、MVに関してはもう金額なんて考えていられる場合ではない」
「月虹のショートバージョンは自分よりであり、ロングバージョンは浅倉大介よりと感じる」
「月虹のMVはショート、ロングと2バージョンを作らなければいけないと考えている」
TMR-eという出会いから別れの季節はまためぐり、そして出会う、それが何年先に聞いてもまた出会える」
など、全力で楽曲やプロジェクトを理解し向き合う姿勢は垣間見れるところが多々有ります

やはり歌っている本人が歌詞、楽曲のことを理解していないなど言語道断であり
TMR-eの複雑な楽曲に関しての解釈も相当なものがあります

 

数年おきに度々披露されてきたTMR-eの楽曲ですが、2017年5月までに3曲が同時に披露されることはありませんでした
またボーカルありの曲の間を構成するインストゥルメンタルの曲が流れることももちろんありませんでした
ライブを構成する単品のバラードといしての扱いだったと考えてよいでしょう

TMR-eの曲をやると宣言され行われた2017年5月13,14日のライブにて
2000年3月が最後となっていた3曲通して全てが歌われる構成が再現されました

崩すことができないと言われていた

プロローグ inst
陽炎 vocal
ノクターン inst
月虹(ロングバージョン) vocal
セレナーデ inst
雪幻 vocal
エピローグ inst

この構成をそのままに行われました


TMR-eをやると言ったら3曲やるのはわかりますが、弦楽アンサンブルを用いてまでインストをやるというのはとても意味があることです

時間などの制限もあり、2曲がカットされたのは理解出来る部分です
3曲だけやるほうがどう考えても簡単です、ただの演出としてと考えても、ステージの移動をする間の部分のみを演奏すればいいよいのです
生演奏にこだわったからアンサンブルを使うのならば、他のオケ部分もいくらでもいじりようがあります


しかし会場でかかっていたボーカル曲のオケは全くの原曲でありそれは当時のあの完成された構成と全く変わらない、と言っても良いものであったと思われます

 

西川貴教本人の好みなどは知る由もありませんが
このTMR-eというものがどういうものなのか
現在でもTMR-eというプロジェクトの意図、真意をそのままに認識している
または
認識している聞く側を尊重している
ということがとても伝わったように思えます

 

当時、聞く側が発信されたものを一方的に受け取る音楽をやるつもりはない
聞く側が選び得る音楽にTMR-eはするつもりだという発言そのままの形であったと思います

特に月虹では曲間の空白の部分で起こる拍手まで制すような様も見受けられました(個人的な見解ですが) 

 

どのような心境でこのプロジェクトをやっていたのか、それを考えるとマイナスイメージが付きまとうものですが、

楽曲に関しての深い理解や揺るがない意図
ボーカリスト表現者としての最高の意識

が垣間見れた瞬間と思います
ただの深読みかもしれませんが、いちファンとしてはそう受け取れました

 

マイナス、ネガティブな傾向の西川貴教のこの1999〜2001年にかけての発言ですが
これらは大多数が事務所スタッフ、レコード会社へ向けてとして発言している形になっています


相手は一応一般人か取引先です
個人名をさすがに出せないのです、匂わす程度になんとか止めている部分はあるのです

 

しかし個人名が出された場合もあります
勿論浅倉大介に対しての発言です

 

名前を出すことが出来る個人というのはミュージシャンである浅倉大介に限られた話であり、濁らせたものは個人を断定できず、きっと浅倉大介のことであろう、と結論されることが多々あります

 

浅倉大介のことを言っているという事実から目を背けたいわけではなく、当時の環境を作り上げた全てが浅倉大介という唯一名前の挙がることができたミュージシャン1人に向けられている形になり、こういった確執のようなものは広がり続ける部分もあります

 

また、映像などに残っているわけでもないためファンの中で語られるに過ぎないような出来事に

西川貴教とある事務所の〇〇というスタッフが喧嘩している所を見た」

「スタッフである〇〇は厳しく、西川貴教とは不仲である」

などの噂は当時より多数存在し、スタッフとの確執が大きかったのではと疑う部分も多いです


感情を表に簡単に発言し、なおかつ個人名を出すことができないため、結局推測する余地を残し、誰に対し言いたいのかと真意がわからない形で発言のみが残ってしまう点が多々あり非常に判断が困難です

浅倉大介を含め、当時の環境や取り巻くスタッフへの不満をぶつける発言ということだけは事実です


そして真相は常に表立って出されるも、結局は当の本人たちが実際の関係性を話し合うところなど現在は確実にありえないのです

なぜこういった発言を続けるのか、自身にとってもマイナスな、炎上案件ではないのか
この部分に関してはわかりません


当時の悔しかった気持ちを反面教師とし、自信を奮い立たせたいのか
現状、自分の力で成し得たこと、出来上がった現在のTMRを誇りとするための言葉なのか
浅倉大介の価値を落とす発言をし、当時の復讐を現在したいのか
単に考えなしに言葉のあやとして出ているものなのか

 

現在、時折テレビなどで共演する2人は特に何事もなかったかのように接してはいます
もちろんメディアに表立っているのですから当たり前の事ではあります

 

一体不仲と呼ばれる現在の関係性はなんなのでしょう

確実に言えること、浅倉大介の言葉を借りて言うと「音だけは信じられる」ということ

 

どんな感情が渦巻いていようとも、少なくとも音楽に対しての姿勢と作り出された音楽に対しては上記した通りこの2人は確かな誠実性を持っています

 

 

よく言うスタッフって誰なんだ?という問い

浅倉大介サイドのスタッフを熟知する必要性があり、西川貴教方面からでは見えづらい部分はあります

この浅倉大介サイドというのも一つの信念をもっていると言える部分があり、そこは西川貴教の人格や性格などに最も反発する部分であると思われます

 

音楽アーティストたるもの、常に見られていることを意識し、発言には注意し、なおかつ音楽に対しては徹底的である
そういった部分が強いのが浅倉大介周りのスタッフと言えるかと思います


TMR-eスタートの際にビジュアルのために髪を切ることを禁じられたり、プライベートに関しましてですが人気絶頂期の結婚に大反対をしたりなど、アーティストとしては当たり前かもしれませんが、自由が確かに少ないと言えると思います


浅倉大介はそういった部分は一種のあきらめを持って生きているように思えます
音楽に全てを投じる為の覚悟がある人間です、比べるわけではなく覚悟の方向性が違うのです


また、事務所自体、前記した通りいわば浅倉大介の音楽を世に出すために設立された浅倉大介の世界観を重視する事務所でもあるのです
浅倉大介本人の個人的な意向ではなく、音楽アーティストである浅倉大介というひとつのものを作っている会社なのです

 

そしてレコード会社に関しましても少々特殊と言えます
当時所属していたレコード会社のアンティノスレコードはプロモートのみを引き受ける形の会社であり他のレコード会社とは一線を画しています
音楽に関しては全く浅倉大介の事務所が全てを好きに出来る
しかし、売れるため、プロモートするのはレコード会社、お金と変えてくるのはレコード会社、普通のレコード会社と同じ部分はあるにしろ
お金とMVとプロモーションはするから売れるような最高の面白いものを持ってきて
というスタンスと思います

社長であった人物もMVに対しての相当なこだわりをもつ人間であり、伝説的な存在です

所属していたアンティノスレコードの収入源、つまりトップアーティストだったのがTMRでした

「俺が稼いだ金で新人とか他のやつ売り出しまくって予算を俺に回さないで…」とのちに西川貴教は苦言しています
レコード会社に所属する以上当たり前なのかもしれませんが、不満が多々あった事実もあります
後輩を可愛がっていた事実もあり、逆恨みをしている様子ではないのです


最高のものを提供するため、音楽に陶酔し、MVでの意外性などを追い求める反面
ストレスという形で西川貴教個人の意思は追い詰められた部分があると思われます

追い詰めた人物とは誰か?と言えば、上記した「指示を出していた人物」そのものに違いないでしょう

ですがその本人(達)も仕事のため、よりよい物を作るため、精一杯の良き選択をしていたことはまぎれもない事実です

 

 

決別の決意に至った出来事

西川貴教により2017年5月14日に語られました

自身で歌詞を書いた際に、自身のとても大切なものを形にした歌詞を事務所(不確実です)に提示したところ
「羽根のない翼でも」
という一節に対し(どういう意図かは不明、冗談だったのかもしれない、軽い意味合いだったのかもしれないが)

「これどういう意味なの?」

半笑いにされた瞬間、今考えたら決別を意識したそうです

 

誰が、というのは本人も語っていません、憶測だけでは語れないということが大前提にあるため
この発言をしたのが誰だったのかは西川貴教本人の口から出るまで、憶測では語れない大きな問題と思います

 

決別については、当時よりこの曲の収録されているアルバムは

浅倉大介と音楽での戦いがあった」と発言していました
受け取り方も様々ですが、よりよい音楽にするために意見のぶつけ合いをしたりした、という意味かと思われます

また、このアルバム制作時期ごろより、浅倉大介との立ち位置が対等に感じられるようになった西川貴教は語っています

殴ったら殴り返すのではなく驚いて理解し、音楽で再構築し殴り合いを表現するようなタイプの人間が浅倉大介であり
殴ったら渾身の力で歌って殴り返すようなタイプの人間が西川貴教と思います

ちょうど対等な同じステージの上にて音楽での殴り合いをしていたような時期ではないかと思います

 

そんな中で腑に落ちないと感じていたものが形となり、人間性までも否定されたと捉えた瞬間がここにあったと感じられます

そして、その発言を人として許せないと感じた西川貴教は決心をした、というところでしょう

 

以前までは自身の力もないため道は一つしかないと考えていたが、ミュージシャンとして大きくなれた今、別の道を選ぶという選択肢を持った
そして動き出すマイナスの推進力を得た

そんな瞬間だったのではないかと考えます

 

 

ファンの感情、そして現在の楽曲のゆくえ

現在のTMRのライブの音源、Rebootと呼ばれるリアレンジされた楽曲については両ファンの抱える複雑な思いがあります

 

前提として作曲者である浅倉大介は自身の楽曲に対しての強いこだわりを持っています
以前JT2という半年以上続くツアーを行った際に最初に構成した演奏が途中から変化し始めてしまい、納得できずツアーのテコ入れを行ったということがありました
完成形のレベルが下がったための怒りです

それから月日も流れ、楽曲提供者となった近年では
TMRの楽曲のアレンジに関しては一度作ったものを西川に渡したのち、バンドスタイルとなって完成されるものと考えている」
という旨の発言を残しており、割り切ったものとの考えを持っているように見えます

 

それではファンはどうでしょう、全てが聞く側のためにあると言い切るTMRの活動と楽曲です

 

TMRサイドのファンは
西川貴教の歌声や人間性が好きで全てを受け入れる
このリアレンジされたものが好きでありそれを聞いている
原曲が一番いいがこちらはこちらで好き

 

浅倉大介ファンは
CDでリリースされた完成された曲が好きであり、アレンジが施された時点で全く別物と考える
そういった曲の変化も浅倉大介の楽曲の一つの形と捉え行く先を見る

西川貴教自体の活動の一環と考え、浅倉大介を否定するような物は聞かない

 

といったところでしょうか

 

しかし、兼オタと呼ばれる存在は複雑極まりないものです
大半が西川貴教の声と浅倉大介の音の競演を聞いているのです
完成されたものを一度壊し、現在の形にして発表することの大切さは浅倉大介のスタイルとも言える部分です
ライブに行き、その楽曲が現在どう歌われるのかを聞きたいという部分はあるのです
ですが、ライブで披露されるアレンジは浅倉大介という存在は歌われるメロディー以外は徹底的ともいえるほど排除された形です
ただ、やってくれるだけで嬉しいと思う人、新たな曲がリリースされその曲をそのまま聞きたいと思った人、そういった期待は裏切りへと形を変えることが多くなるのが現状です

ファンのためにやっていると明言されつつも、こういった隙間のファンを排除したいのでは?と捉えられるような発言

そういう事なのでしょう

 

どうしてそこまでしてTMRの曲やるのか、それはTMRという存在が大きくなりすぎた、求められすぎたというのは言うまでもありません


現にabingdon boys schoolというTMRのバンド面をサポートをしていたメンバーによって構成されたバンドを結成しバンドサウンドに特化したプロジェクトを立ち上げ、仕分け、としたことがありました
が、結局のところTMRほどまでは大きくならず、そしてTMRでしかできない楽曲への需要は確実に募り、並行しての活動は数年で幕を降ろしました
他にも事情があったのでしょうが知る由もありません

 

TMRのことを西川貴教本人も大切に思い、そしてファンも大切に思っています
現状維持は大嫌い、それでも現状を変えながら維持するしかできない

 そういったしがらみとも取れる何万人もの思いの形は現在のTMRを作り上げていると言っていいでしょう
誰かの意図などではなくどうしてもそうなってしまったと思われます

 

 

このTMRをまつわる2人をどう考えればいいのか、今後どうするのがベストなのか

ストレートな考えは好きなものしか見ない
嫌いなものは見ない

ただそれだけですが、兼オタと呼ばれる人には大問題です

 

あのTMRはどこに行ってしまったのか
あの愛したTMRは帰ってこないのかと考えることもしばしばです

そういう悲しい感情を持つ人は少なからず居ます

そういった人は2人の競演を望み、お互いの音楽を尊敬し合っているところを少しでも見いだせたならば救われる

そんな一筋の希望を見ているように感じます

 

浅倉大介は何も語らず、西川貴教からは辛い過去として語られ続け、現在全く違うものになってしまったTMRから、当時のTMRを見つけようともがいているのです

 

初期TMRとはなんだったのか
音楽の才能がTMR-eのように出会い、一瞬道が交わり、すれ違い、反発し、そしてまたいつか巡り会う
そんな触れらない完成されたものとして私は扱っています

 

懐古し、あの頃はよかったと思う部分も確かにあります
ですが、あの一瞬の偶然交差した才能の競演がTMRであり、それは音楽の1つの形として大切に誇りにして生きて行くものと考えます

いつかまた、ふと巡ってくる季節、そんなものであれば良い

 

そして再度、浅倉大介の言葉を借りて
音だけは信じられる

 

そう考え、自身で信じられる部分までを探りこの長きにわたる混沌とした関係性との付き合いを続けたいと思います