ちっちきちっちっちっちっち

BBAの壁を超えた記念碑

サカノウエヨースケ、坂上庸介について考える

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↑の雑誌の左ページは紛失してしまいましたが「ウワサの男!?」とあったと思います

2000年11月にデビューしたサカノウエヨースケ坂上庸介について自分のためにも書きたいと思います

大変キラキラしてる曲の数々を残しているサカノウエヨースケですがしっかりと暗い影も持っている

本当に人間らしい人だなぁと思うので軽い気持ちで聴くとなんというか振り回される、そんなアーティストと考えてます

どうしてそうなった!?というのがすごいのでざーっと時系列で

 

とってもよすぎる記事があったからメモ!

kai-you.net

 

彗星の如く現れデビューを飾るサカノウエヨースケ時代

これ本当にこんな感じだったなぁと書いてて思います

時系列はほぼ覚えておらず残念なのですが当時浅倉大介の周辺が激動だったので追い切れていなかったですね

2000年になり、それまでメインの活動であったIcemanが休止し、入れ替わるように発表され続ける新たなプロジェクト

新人=ニューフェイスと呼ばれ、2000年夏に行われたDA's party βversionに出演が続々と決まり、まさに激動の1年でした

同期と言っていいのがThe Seekerで、まだK.ITO+D.Kという名前でイベントでお披露目されるという情報に衝撃を受けたものです

このイベント、βversionという名の通り以前の主流であったIMやTMR、PB2などは一切でない、まさにニューフェイスたちのイベントだったのです

中堅的な存在は木村由姫コタニキンヤ

そんなイベントの出演者の発表でほぼ最後に発表されたのがD.A.N.K、そしてサカノウエヨースケでした

D.A.N.K=Daisuke. Asakura. New. Kidsの頭文字です、

その名の通りなのですが、当時は「は?!」という感じで発表をラジオで聞いたのを覚えています

このDANKプロジェクト、viewsic(おそらく現music on TVになった)にて同タイトルのドキュメント番組が存在しオーディションを勝ち抜いたDANKのメンバー出演する当時流行っていたASAYANのような番組でした

後追いで見たので連動して放送はされていたと思うのですが、どれくらい並行して放送されていたのかはわかりません

もうとにかくニューフェイスニューフェイス言ってたので訳わかんねぇよ!ってなってたのです

とにかくなんだよDANKって、、、しかも吉本所属?はぁ!?何が起こってんだ、、、という感じ

以前から吉本興業との関わりはあったもののこんな形で前面に出てくるのか?と

不安というかどうなっていくんだと、期待もしつつ追えるのか不安みたいな感じでしたね(結局途中で諦めるので未だにちょこちょこ不明な部分多い)

まぁ、そんなこんなでDA' PARTY βverが間近に迫ったころ、多分1ヶ月きってたと思うんですが、急遽もう1人でます!ニューフェイスが!と発表があったのがサカノウエヨースケでした

 

おっ!と思ったのが、作詞作曲は本人が行なっているらしい、この浅倉大介ハイスピードリリースが続く中で編曲だけを浅倉大介が行うらしいという情報

正直みな「編曲しかしないからあんまり関係ないな」とかそんな印象だったんだろうなと思います

勝手に私は期待してた派閥でした(そんなのいるか知らないけど)

編曲しかしない=恐らくベースがあるんだろう!

しかもストリート出身と聞いたので楽しみにしてましたね

ライブ自体には行けなかったんですがね!!!!めっちゃ後悔してます!

 

ライブも終わり、参加した人の感想を聞きましたがやはりニューフェイスたちの入り乱れるイベントなので情報がめちゃくちゃでしたね

そんな中でもサカノウエヨースケは「声が高くてかわいいタイプだ」みたいな情報がよく聞こえてきました

ストリート出身の10代だと聞いてたのでどんな曲とか全然わっかんない訳です

勝手にアコギだけ持ってオープニングアクトやったって聞いてたので「若いゆず?!」みたいな気持ちでいました

 

そんな中で浅倉大介が音楽を務めるアニメ、グラビテーションのインフォメーションがありました

音楽監督!と期待したのを覚えています

そのオープニングの曲がサカノウエヨースケに決まった

これがデビュー曲 SUPER DRIVEでした

SUPER DRIVE

SUPER DRIVE

 
グラビテーション TV-tracks

グラビテーション TV-tracks

 

 

上記したニューフェイスの曲もごっそり使われるとわかり1話をTVの前で待機してましたら流れたCM、

これが私のサカノウエヨースケとの出会いでした

 

めちゃくちゃ度肝抜かれましたね

今考えたら当たり前なのですが、ゆずが出てくると思ってた訳ですよ

流石に盛ってますが

 

まあ、パツキンのパンキッシュな風貌の、でもナチュラルな顔したにーちゃんが舌出してて、こんな浅倉大介プロデュースアーティスト見たことない!と思いましたね

明らかに毛色が違うのがきた、と

 

結構浅倉大介の周辺って作り上げられたアーティストたちが多いと思います

一番サカノウエヨースケに近しいと感じるコタニキンヤでさえカッチリと固められたDarwin Inc.のベースを感じるというか

それが全くない気がしました

それがなんとなく心地よく感じた気がして

浅倉大介の音楽からは離れたくはない、だが世界が狭くなる気がしていた中で風を感じられる

嫌な言い回しになっているかもしれませんが、私にはそう感じました

これは一種の才能の共演かな、と

 

そんなこんなで激動の2000年の年末11月にニューフェイスが入り乱れる中で浅倉大介プロデュース曲SUPER DRIVEにてサカノウエヨースケが彗星の如く現れてデビューを飾ります

色々裏でこう動いてたんじゃないかってこともあるんですが吉本、ソニー、業界といろんなことが本当に混ざりつつ色々動いてたのではないかと憶測してます(テキトー)

 

2nd〜TOYまで

トータルプロデューサー浅倉大介とクレジットに記載があったのですが、

このまま浅倉大介プロデュースの1人になる、という空気はあまりなかったように思えます

どこか上記した通り少し外れた存在のようなポジションにいたように感じられたのがサカノウエヨースケでした

 

SUPER DRIVEから約4ヶ月経ち春風がリリースされ浅倉大介の発言を聴いていると

サカノウエヨースケ君は若いからどんどん曲を書いてくる、アレンジが追いつかなくて大変だ」だとか

サカノウエヨースケ君とディズニー映画(たしか102)見に行った」だとか

よく名前が出ており、曲も毎週のようにかけていたのを覚えています

吉本繋がりでタイアップも全シングルについていたり、絶えず情報が流れてきていたなと感じていました

そんな中で、3rdのカップリングに見慣れぬE'S ARMという名前が

ジョバンニ

ジョバンニ

 

この名前、ソースも見つからず当時の記憶で何となく知っているので本当かどうか定かでないのですが、

SHAZNAのボーカル、IZAMと記憶しています

イーズアーム=イザム

ですね

どうして知ったのか全く覚えていなくて調べなおしたいのですがファンの発言くらいしかひっかからないという

直前にAQUAという曲をSHAZNA浅倉大介が提供していたこともあり、関係のありそうなアーティストが周りを固め関わっていたように思います

ソニーの抱えてる編曲家とかがとにかく関わってるんだろうな、みたいな、詳しくないんで勝手な印象です!

 

デビューより約1年がたち、4thシングルラベンダーがリリース

ラベンダー

ラベンダー

 

ここまで変わらず甘酸っぱい青春!という曲を浅倉大介が編曲をしリリースし続けていましたが、転機が訪れます

5thシングル、恋のサバイバルナイトフィーバーがリリース

恋のサバイバルナイトフィーバー

恋のサバイバルナイトフィーバー

 

編曲はE'S ARMとクレジットされており、浅倉大介編曲のクレジットが一切無くなります

恐らくですが1年間、4曲の契約だったのでしょうか

理由は不明です、浅倉大介の活動から見ると、accessの7年ぶりの活動を控えており、

翌年の2002年には過労で倒れたような出来事もあったことから本当に忙しかったからでは?と思います

が、浅倉大介のクレジットがなくなった後の2曲がまた素晴らしい、、、

この2曲が私は好きでたまらない

(別に編曲が誰だからという意味ではないのであしからず)

おっそろしくいい曲です

浅倉大介の手を離れた後のこの2曲があったからこそ2019年になってまでこんな記事書いてると本気で思いますね

 

こうした形で浅倉大介の編曲時代を経てE'S ARMそしてランプシェードではchokkakuが編曲

ランプシェード

ランプシェード

 

chokkakuという方、浅倉大介周辺でわかりやすく例を挙げると貴水博之のI&Iの編曲をした人です

知っての通り、売れっ子アレンジャーさんがここでも出てくる

どうやってどうしてこうなったのか

クレジット関係を見ていてここまで面白いアーティストも珍しいかと

あんまり業界とかわかってないんですがそれでもすげーとなります

というかどれだけ売り出されていた、期待されていたのかがわかるかと

 

そしてリリースされた1stアルバム

このアルバムと6thシングル、ランプシェードをリリースした2002年末

浅倉大介と所属していたアンティノスレコードは荒れ始めていた頃でした

アンティノスの稼ぎ頭であったTMRがほぼ活動を行わず、ソニーミュージック浅倉大介CCCDの導入問題が勃発し、2003年にはアンティノスは空中分解します

その直前です

ランプシェードとTOYのリリースはアンティノスの親であるエピックソニーへ移籍してのリリース

確かアンティノスレコードからCCCDではないシングルを最後にリリースしたアーティストがサカノウエヨースケだった気がしてます

それかエピックから、めちゃ適当ですいませんがそういった形でソニーの歴史に名を刻んでるんですよね

TOY

TOY

 

そして2003年が訪れ、アンティノス空中分解

サカノウエヨースケは上記の通りエピックへ移籍済みです

だがここで一切の活動がなくなります

売り上げなのかなとちょっと思ってもいます

正直やはり凄く売れたわけではないのです

本人が「俺の曲をこんな風にして売り出しやがって!」と思っていて決別した?

これもどうやら違う気がします

やはりアンティノス空中分解とCCCD問題にて浅倉大介が一切のリリースをやめたこと、その辺もあるんじゃないかなぁ

いや、でも、、、と謎ばかりでした

 

そんなこんなでサカノウエヨースケ(私から見てですが)消息不明となります

 

それから私自身も動きのない浅倉大介にしびれを切らし、全く他のアーティストを追い出します

再度サカノウエヨースケに出会うのは2005年ごろ

 

Callリリース!闇!

とある西川ファンが「お前の地元にサカノウエヨースケ坂上庸介と名を変えてストリート全国ツアーでやってくるから行こう」と声をかけてきたのがきっかけです

2003年ごろというのは何度も言うように激動の時代で、西川ファンも浅倉大介ファンもその他のアンティノスに関わるアーティストたちは本当に全てが宙ぶらりん状態

西川ファンの友人はいつのまにかサカノウエヨースケにたどり着きずっと追っていた様子でした

まじめに昔はそんな距離感でみな彷徨ってた感じ

 

「とにかくMDで渡すから、坂上庸介の」といわれ、借りたMDきいてぶっ飛びました

この印象はいつまでもかわらないと思います

 

CALL

CALL

 

これです、もうジャケットからカオス

めちゃくちゃサカノウエヨースケのあのキャッチーな明るいポップに乗る凄く明るいあの歌声

ここまでは一緒なんですけど、ポップなんだけどロックに傾いた曲調と、

何より 真っ黒な歌詞

ブックレットも闇!!!やんでいる!!!!

帯を裏返したらボーナストラックの歌詞が書いてあるんですが、ブラック!!!!!!!!!!

 

どうしたんだよ、と、あんなに明るい可愛いにーちゃんが

何があってこんなことになったんだ

 

正直凄くキャッチーだから簡単にすんなりときけてしまうんですよ

歌詞で何を言ってるのかとか考えずに流してしまう

そして歌詞を追うととんでもない闇

これはやばいことです

さっとひろっても

それでも君が笑うのならば僕は君を許さない

揺れ動く感情にこんがらがり影を手にいれてしまったようだ

もっと僕の頭が良かったらどれだけ上手く生きれたんだろう

アリみたいに小さな男は僕に言う、君が望むならなんて、冗談じゃねえ

僕の部屋の中飛び回るTVの虫をやっつけろ

人の目の中で生きていく事を選んだ俺なのにI LOVE YOUさえ言えない弱虫です

神様とケンカをやめた日から 2年が経とうとしていたんだ 気づけば何も残してないや… 気づけば何も残ってない…

 

まだまだ、まだまだ、まだまだまだまだあるんですが、

何かがあったとわかります

それでも君が笑うのならば僕は君を許さない

これなんて1曲目なんですよ、どうしたんだとしか

当時やはり西川貴教が荒れに荒れていた時期でもあったので同様の何かがあったと考えたんですが、矛先がどうなんだろう、わからない

う〜ん、、、みたいな

 

凄く危険な空気を感じつつ、貸してくれた友達に「どうしたの?」と聞きました

 

「このアルバムが出る前に尾崎豊のトリビュートアルバムへ参加し、それ以外にもクリエイティブな分野に傾いてアメリカ行ったり絵書いたりアーティストになってるよ」

 

と、さらりと

ちょっとこのファンがすんなりと受け入れてるギャップ的なものにも違和感覚えた覚えあります

尾崎豊のトリビュートはこれ(いまだ聞いたことない)

GREEN ~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI (CCCD)

GREEN ~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI (CCCD)

 

このファンとの、現実?とのギャップ?違和感がまた魅力と今ならちょっと思います

はざまで揺れ、闇を感じるからこそ魅力にも繋がるくらいこのアルバムは本当に訴えかけてくるものがあると私は思っています

 

とにかく、あまり突っ込んではいけないのか?

と、とりあえず見に行こうとストリートライブに行きました

 

地球カフェ、ストリートライブ

一応場所は群馬、高崎でした

 

到着するなり「おー!!!きたでー!」みたいな、それはデビュー当時と変わらない、明るいサカノウエヨースケ坂上庸介でとても安心したのを覚えています

集まったファンは10人そこそこ、アコギで弾き語られるあの曲この曲、正直そわそわしっぱなしだったのでgood moning musicをやったことしか覚えてないです

帰り際にAXでライブを行う、ハンカチがチケットがわりとなるのでハンカチを買って巻いてきて欲しい、という告知がありました

インディーズを楽しむというか、あの輝かしいメジャーからストリートに舞い戻ってもそんな風に音楽を続けている姿がとても印象的で、チケットのハンカチを購入しAXに行くことにしました

 

どんな話で出たワードだったか「約束な〜」と言っていたのをとても覚えています

そんな話をしながらちょっと感じていた(私だけかもしれませんが)のが、

目が死んでいる!!!!!

そう思ってしまったんですよね

やはりCallというアルバムを聞いたからかもしれません

そうだと思いたい気持ちもあるのですが、当時は思ったのです

正直に申しますと初期というか3rdあたりをだした頃からどこか目が死んでる!と思うことあったのです

でもそこはミュージシャン、芸能人、そんな時も多々あるだろうと別に追求も嫌悪もしません

若くして頑張っていると考えていたような気がします

なにより、アーティストってそういうことかな、みたいな

そんなこんなで混沌としていた2000年代初頭の終わり2005年だったかと思います

AXにて初めてスパイラルスパイダーズと坂上庸介のライブを見に行きます

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これがすげーーーーーよかったんです

しんしんと降る雪のようなランプシェードのアレンジを今でも覚えています

友達同士で遺言という思い思いテーマの曲にノリノリで踊っていたら友達が号泣し始めたり

初めからずーっと泣き続けるファンの女の子がとにかく印象的でした

表面だけでなく身に刺さるような曲をライブをやるという印象がすごかったです

坂上庸介の歌詞にあるように「僕から削り取った言葉は世の中を走っていく」というのが見えた気がしました

この明るさと重々しい闇

なんというバランスなんだと思っていました

他のオーディエンスもそう受け取っていたのでしょうか

笑顔で、でも本当のことは言わない

そんな感情で私は見ていましたが全員が同じ思いをしているかはわかりません

ただ、そんな風にライブを見ているのだとしたら

やはり恐ろしいライブが行われていたと思います

何度も足を運んでいたわけでないので「いつも」がわからないのですが

アンコールラストでステージに客の半分ほどがバーっと上がったのに驚きつつ私も登りました

あれはなんだったのでしょう

そんなライブ見たことない、本当に楽しかった

 

(私にとっては)混沌の中でAXライブが終わり、上記の画像の通り、メジャーデビューが発表されました

これに合わせ行われたライブがついにやってきます

 

東京ドームにて無料ライブ!

画像が残っていたので載せておきます

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200人限定で無料招待でした

画像の通りのところでマウンドには入るなときつく言われたのをよく覚えています

Youtubeに翌日だったかのめざましTVで取り上げられた映像が上がっています

たしか絶対負けない弱虫の歌をやったかなと

 

このライブを見て、私はなんとなくで坂上庸介から離れます

単純に友達とあまり連絡を取らなくなったからとかです

坂上庸介自体も活発な活動がすぐに行われなかったように思います

タイミングだったのでしょう

 

コタニキンヤと再共演、雛鳥の皺寄せ

そんなこんなで何年も離れていました

思い出しては曲は聞いていましたが、再度サカノウエヨースケに出会うチャンスが訪れます

それがほぼ同期であったコタニキンヤのこのイベント

「雛鳥の皺寄せ」


「雛鳥の皺寄せ」ダイジェスト

結局行かなかったのですが、この謎タイトルをつけたのは西川貴教

わかりやすくアンティノスの雛鳥たちに皺寄せがなされた結果のイベント


「アンティノスてれび!?」復刻版 #06

 

映像だけ見た印象は、やっぱりまだ目が死んでいたとちょっと思っています

そしてまだこうやってコタニキンヤと交流があるというか、共にイベントに出るんだなと思いました

まだこの時も「なつかしいな、元気だったんだ〜」程度でした

再度名前を見た時、というか定期的に調べているうちに、なんとあのD.A.N.K.とRUN&GUNで共演していた米原幸佑とヨースケコースケというユニットを結成しているではありませんか

衝撃でした

まさかそこが繋がるのか

そして最近コタニキンヤがオーガナイザーとして行われているイベント、 EDKに出演とばかり思っていました

あれ?いつまでたってもしない???

疑り深いだけかもしれませんが、雛鳥の皺寄せでなにかあった?

 

わかりません

一番出やすそうで出てくれそうなものなのに

本当にわかりません

Twitter浅倉大介に偶然出くわした際に「師匠〜」と慕っていたところを見てもそう言った良くない何かがあってという感じではなさそうです

EDK自体も当時の再現をしている出演者の選び方をしているように感じるところがありますのでなんとも、、、

なにかあるのかな、と思ってしまっています

いつかでてくれたらなあということで

 

そんな感じで時は流れ2019年にまで飛びます

 

TOY再現ライブ!

まままじか!と!!!

いくしかないと思いました

行きました、2公演

やはりライブで全曲聞くなんて夢のまた夢だったのですよ

内容に関しての感想も多々あるのですが、何よりも思ったことはひとつ

目が死んでいない!!!!!!

と、ほんとやなやつですいません

でも本当に何があったのってくらい違ったんですよね

紆余曲折ありすぎてここにたどり着いた、ヨースケコースケ、このTOY再現にたどり着いたんだとふと感じました

そしてギターの白石さんがさらっと言った一言に「Callも最高だよ!聞いてね!」みたいな一言があったんですが、どんな意味かとかないです、なぜかそれであの闇はもう晴れきっていると感じてしまったんですよね

なんでだか、そんなさらっと言える、いち作品としてカウントされていると感じられたというか

暗い過去だったのかもしれませんが、それも一つの歴史で坂上庸介の作った作品だよ!とあっさりと凌駕されたような感情でした

 

長々と書きすぎて何言おうとしてたのか全くわからなくなってしまったのですが、

私の存じているサカノウエヨースケ坂上庸介の断片的なものは残しておきたいと思っています

闇だとか明るいだとか感じ取るのは人それぞれなので考察でもなんでもしたいようにできるのですが、あんなにしゃべっているとおもしろいニーチャンって感じのサカノウエヨースケから溢れてくる音楽ってものには驚かされまくりです

また、「サカノウエヨースケ」というアーティストを聞いていきたい、見ていきたいと思ったTOY再現ライブでした!!!!

 

 

抑えきれない僕らのJ-POP

抑えきれない僕らのJ-POP

 

2018年12月平成最後のMDデジタル化!Hi-MDウォークマン MZ-RH1再使用への道

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この記事求めてる人いる、と思ったのでひさしぶりに

以前クッソな記事を書いて以前使用していたHi-MDですがmacのOSをあげたりなんだりしているうちに数年たった今全く使用できなくなっていました

 

昔の記事はこれです、恥です

chikichikichi.hatenablog.comchikichikichi.hatenablog.com

 

ちゃんと管理してれば違ったのでしょうがMac OSのヴァージョンが上がっていくうちにいつのまにかインストールしていたWin7に入れないなんてことになっていました

現行のMac OSはMojaveです

大丈夫、私には過去に入手したWin64bit版と本体がある!

SONY Hi-MD ウォークマン MZ-RH1 S

SONY Hi-MD ウォークマン MZ-RH1 S

 

 

 

これさえあればなんとかなるとWindows7をBootcampを用いて再インストール開始

 

ハイ、できませんでした

本当はできるのかもしれない、でもできないんだもんね!!!!
ま〜〜〜〜〜〜たこれだ!!!!!!!!

 

Mojaveのサポート対象からWindows7が外れてるのですよ!そりゃそうよね!
OS上げた私が悪いさ!でも信者だから人柱でもなんでもやりたいの!!!!

巨大文鎮と化したiMac 2007にもやってみようと引っ張り出しました
前回なぜ諦めたのかもう忘れきってたんですが、なんとかOSのバージョンを低いままやればいけるだろうと頑張りました
結局恐ろしいことに光学ドライブ内臓Macは外付けドライブおよびUSBを経由してのOS再インストールはできないという結果が待ってました

 

なんかね、もう絶対ダメなんだって、検索してでてきたApple信者で高知識マウントマンであろう回答みて怒りが湧きました
これぜひみて欲しい、リンク貼る勇気ないし探し直すのダルダルだからやめるけど

 

とにかくさすがにもうWindows7なんて過去の栄光は捨ててはやく10にしなよ、さもないとと全世界から言われてるわけです

地獄、これは地獄です

 

残る手は2つです

がんばって調べましたけどシステム、プログラム面全然わかってねえクソ三十路サブカル女が考えつくものなんてたかがしれてますが

1. Apple製品独自のルートを諦めて仮装OSソフトを入れてWin7を復活させる
2. Windows10導入してなんやかんややってMacにインストールして使う
3. Windowsマシンを安く買う、可能なら7のもの
4. 検索に検索をかさねいくつかの奇跡と知識を存分に発揮し再度同じ環境を構築する
5.あきらめて寝る

4. 5.は避けたい、ぜったいにだ!

 

とりあえずWindowsがあればまだまだいける感じがするのです
どうせなら買おうとWindowsの安いの探しつつマシン組める人に聞く
Win7の環境動かせるマシン組むのだって今はたいへんだよ〜もうね、それ専用のもの買わないとなの!ノート買え!ノート!それが一番安くていいよ!

 

OK、そんな気がしてた

 

ノート型でwin7入りを検索、なるほどだいたい1万円ちょいで買えるのね

下のやつなんて会社でさんざん言われてる化石やないか…
まあ、だいたいの価格はわかったし安心ができました

ただですね、正直どうせMD取り込む以外になんて使わないわけですよ
いやどうせ使ったとしても邪魔なんですよ!

Mac信者ですからね、やはりMac上で完結させたい!ぜっっっったいにだ!!!!

 

MacにWindows10をインストールを考え出しました

だいたいWidows7が本当は動かしたい、そして10にするとX-アプリという取り込むためのソフトのインストールがなんか確か大変だったと昔読んだ気がする
Win7のライセンス1つ無駄にするのもなんだかなぁと却下しました

 

 

仮装OSソフトでWin7を動かす

これしかない、きみにきめ…たくないなあ
追加予算はあまりかけたくないです
でも楽そうだし…とりあえず無料体験版Win7が動いてくれるのかを見ることにしました

はい!!!!これしかない!!!!!!!

Parallels Desktop 14 Retail Box JP(通常版)

Parallels Desktop 14 Retail Box JP(通常版)

 

なんと素晴らしい事でしょう。Bootcampなんてクソだった!!!!!!
今なら!はっきりと!!!わ!か!る!!!

金額はだいたい個人で1ライセンスなら8,000円くらいだった
Win買うよりやすい!

Mac用ソフトですからね、キーの配列とかで困ることもない、ファイルの共有もBootcamp使用してたころよりだんぜんいい!!
なんだったんだこの数時間は

Windows7、しっかりふつーに動いてくれました
しかも以前MacのOS上げた際に起動ディスクから消失してたWinのシステム拾ってきてくれてあの時がそのまま蘇ったのです
なんという素晴らしさ(当たり前かもしれんですが)

 

ただですね、数年の間になんやかんやしてたうちにX-アプリを動かせるよう設定していた時のアカウントは自身で消してたんですよ
なんでもいいんですけど、とにかくX-アプリを再度インストールが必要なわけです

ここのアクセスワードとかの解析たまにみてたんでうすうす感づいていたのですが、
X-アプリ、配布終わったくさい?

こわい話ですよまったくもって

そういうのが本当にいやなので基本ソフトのインストーラーは捨ててないので、インストーラーはありました

一応最新かということだけ確認するか!とSONY公式を見にいく

www.sony.jp

なるほどなるほど確かに終了している、そしてMusic Center for PCとかいうのが後続らしいがMZ-RH1には非対応みたい?

X-アプリの続投が決定ですね

ソニーからの配布が終了してますのでインストーラーを探しました、Google先生の検索上位にあったブログですんなりとweb アーカイブ使えば見つかるよって書いてありました

さすがです、難なく過去ページ遡ったらダウンロードさせてくれました

web.archive.org

これだからWebアーカイブのこと愛して止まない

 

そんなこんなでインストールしていろいろエラーでましたけど普通に使ってます

あと数年は安心かな〜

小室哲哉と浅倉大介のユニット、PANDORAはガチだから機会があるならば必ずみろ、聞け

大変クソなタイトルで申し訳ありません

私はビルボード大阪にてPANDORAを、小室哲哉の現役のライブ(現在)を見た一人です(昼公演だったけど)
小室哲哉さん=先生のファンではない私が何を言ったって雑音だろうと思いつつ、浅倉大介サイドから見た感想を書きたいなとずっと思っていたのですが

いかんせんまとまらない、知らないことが多すぎる、情報がでかすぎる、音楽的な知識がない、文才がないなどなど
全然書けず時間だけが過ぎてしまいました

2017年の浅倉大介の動きを考察してからこの日を迎えたいと思っていたのですが後回しとして一つもまとまらないですが記憶が、感情が新しいうちに

 

PANDORAの発足

私が最初にPANDORAが立ち上がったと認識したのは小室先生のインスタだったかと思います
なにか大きなプロジェクトが動いていたのは匂わせていたと思いますがあの「TK DA  NATSU」をしっかりと認識した初めてだったかと

正直こんなことになるとはつゆ知れず、私を含め友人たちとはふーん、くらいの印象で話していたのは覚えています(なんとも言えなかったのです)
言葉は悪いですがなにせ小室哲哉のことを私は知らないのです、無論日本を代表するアーティストであり、あの小室哲哉、と普通の人程度には知っています
そこに浅倉大介の師匠という付加価値がついた程度です

無論TMNのサポートとして見出してメジャーに送り出してくれた人くらいの知識はあります
ただ、ファンとは到底名乗れない、知っている人程度です、浅倉大介のファンなのでそっちまで行ってしまったら大変なことになると思って留めてるところもあります

浅倉大介しか見ていないファンは「先生とやるんだ、追うのが大変そう」「ついに来たか!」程度に思っていたと思っていたと思います
無論深く考える人もいたでしょう
何より小室哲哉自身「生涯最後のユニットだ」と明言しています

ですが「先生のことだからそんなことない」と勝手に考えていたところもあります
芸術家の人は本当にわからないです

 

PANDORAというアーティストネームが発表された後、もちろん由来も考えました
タンス(moog)と、タイアップの決まった仮面ライダービルドに登場するパンドラボックス、そして「タイアップが決まる前に小室先生が考えたそしたら偶然にも一致した」という発言から
タイアップ用のユニットで話が持ち上がり、この一回限りのユニットでシングルかアルバムかを出してそれで終わりなんだろう。なにせあのスタイルを貫く2人だ、筋書きでPANDORAはタイアップありきのユニット名だ

程度に構えていました

そして「小室哲哉の生涯最後のユニットだ」という発言を見てもそれは変わらず、
どうせ音楽に引っ張られて気まぐれにまた何かあるだろうきっと

そんな程度だったのです

私だけがそうとも言い切れないのではないでしょうか
今考えればもっといろいろなヒントは転がっていたでしょうが、そんなものでした

 

PANDORAが最初に人前に現れたMV撮影

PANDORAのシングル、Be The Oneが発表され、私たちファンにも聞けるような機会が増えました

そんな中でファンクラブ内の会員ページのみでMV撮影参加希望者の募集がひっそりと行われました
オフィシャルに乗っているので大々的と思われるかもしれませんが、この会員ページを毎日チェックしているよりもTwitterを見ていた方が情報が早い世の中です
応募期間も2日ほど、収録日は平日どまんなかの夕方から
見逃した人も多かったと思われます、ファンは試されているような告知でした

それでも参加した人の話を聞くと不穏な話を聞きました
なんとなくだけど小室先生は元気がなかった気がする、体調が悪かったのかな

失礼な話ですがいい年齢ですし多忙なことも知ってはいます
また病気もしたことも知っています
ただ事ではない!とまではいかなくとも、なにか引っかかる、とは感じました
その程度ですし、今考えればという部分も多いですが、健康面大丈夫かよ…という不穏な空気が流れました

PANDORAの最初の活動

PANDORAが最初に普通に売られているチケットを購入して見ることができる場所に姿を現したのは台場で行われたULTRA JAPANだったと認識しています
このイベントは浅倉大介ファンを揺さぶりました

浅倉大介の所属するaccessの25周年アニバーサリーツアーの初日に行われた為です
昼はPANDORA、夕方からaccessです
ただでさえハードなスケジュール、そしてULTRA JAPANは1日通しのチケットしかなく高額(2万くらい)、参加するという発表もギリギリ、浅倉大介は数ヶ月前に過労で倒れaccessのライブを延期したばかり

ファンというのはこういうとき複雑な感情に苛まれ声を荒げます
健康を祈ったり、accessとどっちが大切なのかなんて比べたり、黙って付いていくのがファンだと熱り立ったり

浅倉大介の心情を推測で語ると、それほどまでどちらも譲れないものだったと考えられます
そして「やるぞ」とGOを出したのは他でもない、多分本人たちです


単純にPANDORAを見てみたい一心で参加しました
何より浅倉大介の久しぶりにニューユニットです、始まりだけでも見てみたい、そんな感情です

本当のことを言うと、もう少し欲があったように思います
どんな浅倉大介でも見たいというような、どうしても何かを感じてしまう
これにいくことでファンとしてなにか重要なひとかけらをつかめるのではないか
みたいな欲です

 

実際に見た感想は、正直よくわからなかった、です
音楽の方向性の示唆があったのかもしれません、数曲作ったと発言していた曲も聞けました
ですが正直に言って印象は「いかついゴリゴリEDMな会場にいつものあの音楽をやるとカッコイイのにフワフワっとした2人がいた」くらいです
30分ぴったりのステージだったのでそんなものです、感性がないだけかもしれませんが

Be The Oneはやっとフルで聞けた、そんなこと歌ってたんだ!ビバリー小さいのにすごい声してる!浅倉大介はいつもと変わらずJDをブン投げる

そんな短い、小さめのステージを小さな記念日程度に考えて後にしました

まだまだPANDORAが見えなかったと思っています

印象的だったのはトラブルだったのかスピーカーが飛んでいたらしい、ということ
音量が小さく、出てきた直後になにやら耳打ちで慌ただしくコンタクトを取り合っていたPANDORAとスタッフ
そこまで目立つものでもなかったですが

また、左右位置をチェンジしてプレイするPANDORA、不思議な光景ではありました
機材は左右違うのだから位置を変えるなんて不思議に決まっています
そこはなんでもできる2人のエキスパートのプレイスタイルなんだと不思議な感覚を楽しみました

浅倉大介ばかりを見ていたわけでもありませんが、ふと見る小室先生はどうもフワフワっとなにかをいじっている程度で置かれている機材をゴリゴリに使い倒すようなことはしていなかったのも印象に残っています
結構な頻度で浅倉大介のリードがあり、それもまた不思議でした
DJスタイルだから先生は任せているんだろうか、そんな印象です(失礼ですが)

とにかくリードしていたのは浅倉大介だった、そんな適当な記憶しかありませんでした

 

2018年初頭の突然の衝撃

ようやく1stシングルのリリース日も迫り
ファンはPANDORAに注目と期待を寄せ始めていました

年始にサプライズで小室哲哉のクラブイベントにてPANDORAが披露され
どうやって聞いてもBe The Oneはファンにはたまらない
そしてミニアルバムのリリースも発表され、2018年はPANDORAで始まる
サプライズなどではなく、ようやく予定を立て見に行ける武道館での公演と1stシングルのリリースが控えていた1月21日

あの発表がありました

 

現在予定されている活動をもって引退

 

経緯を語られ上記したものにハっとすることしかありませんでした
FANKSの方々には声もかけられないような話です
ウソでも優しさでも「気持ちはわかるよ」なんて言えません

ようやくPANDORAの見えなかった真意が判った瞬間でもありました

ファン目線でしか考えられませんが、ファンはだまりこむ人ばかりだったと思います
悲しみうつむいている人ばかりでした

みな数日後に控えていた武道館での超英雄祭に希望を託していたと思います

 

超英雄祭、武道館でのPANDORA

やはりここで見たPANDORAもどうしていいのか、どんな風に見たらいいのか
構え切ってしまっていてどうしようもなかったと思います

ただ、そこでなんとなく申し訳なさそうな、ふわっとした小室さんを見て、何も言わない浅倉大介を見て、安堵というか、ただの1つのライブだったのだと私は思いました(悪い意味ではないです)

2人ともに背負ってきた歴史があるのです、今日をやりきった2人なんだと感じました

この時もまだ、私はこの2人はベストマッチだということは全く理解していなかったと思います

 

そして迎えたBillboard live大阪

ご存知ない方もいるかと思いますが、このビルボードライブ大阪(2回公演)の夜公演にて小室哲哉さんは最後のステージを迎えます

チケットを取った時はそんなことも知らず
「倍率が高いこのライブのチケットを取るため昼公演に申し込んだ。思惑通りなんとか取れた!行けたら夜も行こう!」程度でした

まさかこんな小さなステージでその時が訪れるなど思ってもみなかったのです

ただの感想となってしまいますが、思ったことを純粋に書いておきます

 

人が会話をするには言葉、ジェスチャーが必須と考えていました
当たり前ですが、天才同士の会話というものを見たことがなかったのです

ULTRAJAPANやそれまで目にした2人と全く違いました

音楽の知識がないものにもわかる、2人の天才の会話が音楽としてそこに存在していたと思いました

こればかりは2人を目の前にし、体感しなければわからない
そんな五感を使ってライブを見たのは初めてです

音1音の情報量が2人の間ではただの1音ではないということを見せつけられました

以前よりホテルの一室で曲を作っているのはメディアに載っていましたし、1泊で別荘地に行き、撮影をしながらも数曲作ったなんて話も聞いていました

実際のところはどうせ「こんな曲にしよう」なんて話をして互いに(特に浅倉大介が)持ち帰り「こんな曲はどうでしょう」「ここに手直しする」なんてやりあっていたんだと思っていました

そんなやりとりは不要だろうと今なら分かります

実際に2人でリアルタイムで作っていたのでしょう、あの短期間で
そんなことわからないのが事実ですが、言葉や形にしてからのやり取りなど必要ないのだと感じました

完全にPANDORA(特に全く実態の知れなかった小室さん)をなめていたのです

 

私のような凡人にも言葉を交わさずに1つの物事を他人と一致団結し作れることがあります
主に仕事仲間と大変な仕事を任されこれはやってのけるしかない!と窮地に追い込まれながらもやり遂げようとした時です

気心の知れた仲間に「相手はこう考えているだろうからこれをまかせよう、その間に私はこっちを」なんて感じで考えてベストを探ります
それくらいでしたら誰しも経験があるのではと思います

この2人の決定的な凡人との違いは、才能とセンスと数々のヒットを生み出してきた経験、そして長年の信頼

確実に凡人の「会話」なんかとは違うと思いました
互いに探りなどせず、全力で音楽をぶつけ合った結果が最高に面白く美しくそして綺麗な音楽となっているのです

初めて本物のセッションというものを見たと思いました
ありきたりなバカみたいな言葉しか出てこないのが本当に悲しいです

そしてどうやってもこの感覚は言葉に乗せて伝えるには無理があるということ

またバカみたいな表現になってしまいますが、
あの時一番近かった現象は漫画「サトラレ」の「サトラレ同士の会話」でした

一応補足しますと、サトラレ(考えている事が他人にすべて悟られてしまう人、その代償として何かしらの天才として生まれる)が窮地に陥った際、近くにいた別のサトラレに常人では理解しがたい研究のすべてを情報伝達するというシーンがあり
そんなことを音楽でやっているのではないかとさえ思える状況でした

PANDORA、小室哲哉のラストステージを終えてしまった今、本当に求めていた人へあの音楽が伝わらないということをとても残念に思います

私自身、あの90年代の小室哲哉時代と呼ばれる音楽を聴きながら育ちながら
そしてその時代が去った今はどこか斜に構えて小室哲哉の現在を受け取っているところがあります

当時の曲を聴き、やはり良いものはよいと思いながらも去っていったものと心のどこかで感じている

そんな悲しい印象をいつも持っていたのが本音です

ですが、このライブでの小室哲哉はそんな過去に未練を感じるような感情は一切ありませんでした
第一線で戦い続け、なおも進化を止めず、そして音楽とともに生きている
そんな師匠小室哲哉とそれを全力で尊敬し自身の道を確実に走った浅倉大介を見ました

 

一度でいいので天才の会話をたくさんの人が感じ取ってほしいと願わずにはいられません

 

 

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Be The One

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Be The One(DVD付)

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アンティノスレコードってなんか最高だったなぁと思い出す

腹立つこと言われて非公開にしてたのですが記事再公開させていただきます

 

 

アンティノスレコードとは

2004年(確か)に空中分解したソニーミュージック系列のレコード会社です

そんなに業界に詳しいわけでもないのですが、アンティノスレコードというレコード会社が好きでたまらないので、雑記ということで

 

まずロゴが本当に素敵

知っている限りこの2種類のロゴでした

旧ロゴ(1994〜1998年ごろまで/マネジメントはずっとこれでRECORDSがmanagementになってる)
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新ロゴ(1998年ごろ〜)
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PDFなどがほぼ出回っていなかった時代だったのでもうロゴデータさえ入手することもできないのが悔しいところ
特に新ロゴはオレンジを基調としたカンパニーカラーをしていました


オレンジのが全然見当たらなかったからパスを起こしたのがこちら

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ちっさいロゴしかもうネットにはないんです、パチモンでゆるして!

まあとにかくカッコイイしカワイイしで最高のロゴなんすよ

 

で、このアンティノスという造語、なんだよっていう
まずこれ、動くロゴだと自社の社名を自らの拳でブチ破っているわけです

なんという会社なんだと思いませんか?思いますね

ロゴの由来までは定かではないのですが、このアンティノス[ANTINOS]という会社
まず親会社にSONY MUSICがあります

そのSONYの頭にAntiをつけ、SONYを逆から読んだものを後ろにつけて、IYがかち合うためYをカット
つまり ANTI YNOS の略称

アンチソニーソニーの子会社なのに!

それでブチ破っているんじゃあないかと(存じませんが)
攻撃的スタンスなのがお分かりいただけたでしょうか?いただけましたね!

詳しく調べてもいないのでクソ考察になりますが、
アンチソニーといいつつもSONYの部分は逆順で書かれているわけで、これはソニーANTIしているわけではないのでは?むしろやっぱり大好きソニー
とも取れると思いますね、どちでもいいですけど
それにしてもいい社名だこと、本当に好き

 

攻撃的なアンティノスレコードの所属ミュージシャンと社員たち

調べれば調べるほど(といってもそんな調べてはいないけど)アンティノスの設立は奥が深いです
社名が語るアンチソニーを掲げた設立当時の代表取締役ソニーミュージックの当時副社長であった丸山茂雄
調べると小室哲哉のためのレコ社だったはずみたいな話も出てきます(wikiにのってた)
とってもかいつまんで言うとソニー小室哲哉プロデュース部門のために作られたレーベルだった様子
アンティノスの経営方針がまた面白いもので、販売流通しか受け持っていない
つまり完パケをもってきてね!売るから!という

この辺当時のアンティノスの会社概要ページにしっかり説明があった
実際そんな簡単じゃないでしょうけど、どうやら海外のシステムはそういうのが主流らしく、取り入れた、と

これも勝手な考察ですが、当時個人のレコーディングスタジオだったりとか大量にもってて、なんでもできちゃうお金持ちアーティストである小室哲哉に向けた体制だったのかな、なんて思います(知らんけどね)

だが、小室哲哉はご存知の通りエイベックスに行ってしまい、レーベルはおきざり

そこでこのレーベルを利用しまくったのが小室哲哉の弟子、浅倉大介

アンティノス経営の主軸となっていたのは浅倉大介プロデュースであったT.M.Revolutionだったそうで

このTMRが雨風にさらされ続けたデビューから8年ほどを考えればどれだけ自由度が高いレーベルだったのかわかるはず(多分)

他のアーティスト、ミュージシャンももちろんいます

適当ですけどこんな方々

 

濃くて最高

 

まあ、面白いミュージシャン、アーティストを抱えまくったレーベルだったわけです
そしてさらに注目したいのがとっても密接に関係深かった坂西伊作氏の存在

明記されてるの見つけられなかったのですが、アルバイトという契約形態から社長になった?らしい

とにかく昔から大物ディレクターだったのですよ、アンティノス所属のアーティストの雰囲気やらは全てこの人が作ったと言って過言でない!

だいたいTMRが暴風雨にさらされまくったのはこの人あってこそ

そんな経緯もあってなのか、映像には力を入れまくっていたアンティノス
ネットが普及しだした1998年ごろ(だったはず)
まだ個人のPCは画像表示するのも必死という環境を脱したくらいじゃないでしょうか

アンティノスレコードソニーミュージック)は世界初のストリーミング形式の音楽番組を配信開始

MVを流しまくったり、レコ社社員のMCのねーちゃんとにーちゃんが適当な暴露をしたり、時代先取りすぎィ!って事をしてました

HPも当時のネットらしくBBSを設け、特定の人物に荒らされまくっているというカオスっぷりを見せたりとなんともエンターテイメント爆発なアンティノスレコード

TMR西川貴教ラジオで暴露されまくっていた社員のキャラも相当でした
(新人ミュージシャンの歓迎会はまずSEXの話から始めた、担当の女性社員は定期的にマイクロミニスカートで来てパンツを見せる、エロいと思っている言葉に「イス」を挙げる社員がいる、とかそんなの)

アンティノスって素敵すぎ

 

そんなアンティノスも経営があまりうまくいかなくなった出来事が起こります
これこそ適当な物言いですが

まず

T.M.Revolutionマイナスとマイナスをかければプラスになるとかいう充電期間

意味わかんないでしょう、言ってる本人が一番わかってなかったかもしれない!
単純にイロイロあってCD出さないわ人気も下火になるわATMレボリューションされるわで個人的にも混沌が訪れていた様子です
これが2001年ごろでしょうか
TMRの売り上げが主軸となっていたアンティノス
新人を発掘してもあんまり売れない
爆発的ヒットも時代の変化からかアンティノスでは生まれなかった時代かと思われます

さらなる追い打ち、浅倉大介までCD出さないとか言い出す

レコード会社とうまくやって来ていたのですが、時代の波かCCCDという規格をソニーが全社で導入決定
浅倉大介ソニーに猛反発し関係が良好とは言えない状態になったと思われます
2003年末の導入を機にアンティノスから自身でのCDは一切出さないという運命の岐路が

これだけじゃないでしょうけどやはり結構大きな出来事だったんじゃね?これっていう2つを挙げてみました
そこまでいちミュージシャンに力はないわw親会社ソニーだぞwってのもわかりますが
アンティノス黄金期と思われる1997〜2000年の売り上げは確実にこの2人が売れていたからこそという事実もあるのでそんな感じかと思われます

 

アンティノスレコードは空中分解

最高のレーベルがこうして文字通り消えて行きました
大半の所属ミュージシャンは路頭に迷う、もしくは親会社であるエピックソニーへと移籍

そんな中、最も路頭に迷っていたのがフラワーカンパニーズ
略してフラカン

2016年、なんとなく深夜番組を見ていたらアンティノス分解後、全く忘れきっていたフラワーカンパニーズがなんと出演している!
なつかしいなぁと見ていたらこの10年の経歴をざっと振り返る最中にまさかのワードが

2004年 所属していたアンティノスレコードが空中分解 迷走を始める

だいたいこんな感じ

笑いつつも涙が出ましたね
そもそもアンティノスレコードという言葉をテレビで聞くのは10年ぶりなわけで
そして迷走していたミュージシャンが未だにそれを引きずりながらも頑張っている姿に涙が止まりませんでしたね

大げさですが

全然わかってあげられないけど痛いほどわかる迷走の10年

アンティノスレコード、私は忘れないよ
(あとフラワーカンパニーズも、ついでに言うと同じく迷走しまくったコタニキンヤ.も、歌手:仲間由紀恵野村佑香も)

 

フラワーカンパニーズ/ヤングフラワーズ

フラワーカンパニーズ/ヤングフラワーズ

 
仲間由紀惠

仲間由紀惠

 
ナンダカンダ

ナンダカンダ

 
T.M.R.X’mas Party Box [VHS]

T.M.R.X’mas Party Box [VHS]

 
tk-trap

tk-trap

 

浅倉大介と西川貴教の関係性というものに関してT.M.R-eを通して考察する、多分

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知っている人は知っている、この2人の不仲であるとされる複雑な関係性についての考察をしたいと思います

というのも、2017年5月13日にTMRが21周年を迎え、ある騒動的な出来事が起こり、ようやく気持ちが晴れた、ような気がしたからです

アツい想いすぎて、主観も入っていて気持ちのいいもんじゃありませんが、冷静に見つめられたらと思います

 

私は1999年にTMRというものに出会ってから兼オタというのを続けており、一方は必ず追いかけ続けてきたファンです
TMRから浅倉大介を好きになり、兼オタになり、その後西オタ(TMRのファン)になり、近年は10年ほどDAオタ(浅倉大介ファン)を続けています

気持ちの整理のため、この記事を書くに至りましたが、複雑すぎるこの心境はそうそうまとめられるものでもありません
私が知っていて、時の流れとともに消えていってしまうようなつたない記憶を伝えられたらと思うところもあります
どうやってもフラットに考えたり感情抜きで考えられないものがありますが
どうか同士の目に触れ、よい感情を持ってくれることを祈りたいと思います

 

 

2人の元々の関係性や魅力とは

私が2人を追いかけだした1999年はまさにTMRが最高潮を迎え、そして一区切り、という年でした
この当時のTMRというのは、代名詞といえる雨風が吹き荒れ、わかりやすくなおかつ大胆で世を驚かせるような広告展開や企画意図が満載の楽曲や構成をしていて一筋縄では語れない魅力のつまったものだったと考えています

 

楽曲に関してもTMRのトータルプロデューサーが浅倉大介である以上、西川の本質であるロックテイストを守りつつもダンスビートに溢れ
浅倉大介の根本であると思われるエレクトリックなピアノをベースとし、独特なリズム感や葛城哲哉のギター、そして曲をまとめあげるシンセサウンド、独特なコーラス、魅力的な時代を象徴するようなSE、そして挑戦的であり遊びが入っているくせに奥深い、明るさに切ない影を落とすようなメロディやコード、遊び心満載の歌詞、インパクトの塊のようなMV、などなど

そんなある一種の完成されたエンターテイメントがそこにあったと考えています

よい言葉が見つからないのですが少年ジャンプのようなものでしょうか
喩えたりできないからこそ、このT.M.R-eがいつまでも好きなんですけどね

 

本人たちの思っていることはわかりませんが、当時は表向きのTMRの周辺のスタッフ、製作陣、そして西川貴教の本人はとても友好的な空気が流れており
たまに浅倉大介との対談などをしてもお互いにギクシャクしているという雰囲気は一切みうけられなかったものです
もちろんこれは浅倉大介がプロデューサーであり、浅倉大介が中心となっている事務所に西川が在籍していたという事実があって成り立っている関係性でもあります

西川本人もすべての主導権を事務所、レコード会社などに任せるしかなかったような時代です
発言権や決定権は本人にあったとしても、上司がいる会社員となんら変わらない環境だったと思われます

 

当時のラジオなどを聞き直しますとわかりやすいものですが、西川のレギュラー番組のゲストに浅倉大介を迎えてのトークと、通常時でのトークは当たり前ですが全く内容が異なります

浅倉大介ゲスト「次回のライブは年末年始カウントダウンです、楽しみですね、折角のタイミングですので来てください」

通常時「カウントダウンは家に居たい派なので嫌だと思っている、ファンも来なくていいっす」

飲み会で上司を持ち上げる部下、そしてその後に1人になった際に友達に電話で本音をグチる、そんな印象でしょうか

 

このころ2人が在籍していた事務所は(芸能界ではあたりまえかもしれませんが)ひとクセあるところがあり、TMNなどが在籍していた事務所から浅倉大介のマネージャーである女性が代表となり独立したという過去を持ちます

ざっくりと言うと浅倉大介の音楽のために独立した浅倉大介中心の事務所でもあったわけです

設立から浅倉大介のみが在籍する個人事務所でしたが1996年ごろに西川が入り、1999年に最大4人のアーティストが在籍していました(これ間違いですね、1998年より個人事務所を設立し、独立ですね)

 

過去にルイマリーというバンドでデビューをし、第二の音楽人生を歩もうとしていた西川貴教はこの事務所にすべてを委ねている形でした

当時から西川のボーカル、そして音楽の方向性はロックを根本とするものであり
バンドスタイルでのツアーを回った感想を聞かれた際に
「今回はバンドスタイルだった、次はテクノになるかもしれない、意外性は常に大切に考えている、ロックでずっとやったりするかもしれないしね」と冗談っぽく答える中でも、バンドスタイルでやりたいのかな?という意思を汲み取れるようなニュアンスで発言をしていることがあったのを記憶しています

プロデューサーであった浅倉大介もそれはとても理解していたと思われ、
西川の根本である8ビートの歌声を高く評価した上で、その声を多方面に生かせはしないか、全く違ったテイストを歌わせることで違う面に生かし、西川という魅力を伝えることが出来るのではないかと画策した発言を多々残しています

浅倉大介は音楽に関しては超一流と言い切ってよい人です
自身の特性なども理解した上、さまざまな音楽ジャンルを組み合わせた独特なスタイルを駆使し、TMRの可能性を挑戦的に伸ばし続けており、なおかつ西川が一番活かせるものはこういう音楽、という大前提を持っています

 

こういった違う音楽の才能をもつ2人の力の共演がTMRの最大の魅力だったと私は考えています

 

the end of genesis T.M.R. evolution turbo typeD 、T.M.R-eという存在

1999年、TMRは東京ドーム公演を達成し日本を代表するミュージシャンの仲間入りをしたと思われます
ミリオンセールスを達成したり、オリコンチャートにて1位を獲得したりと人気の最高潮を迎えた1997,8年、その人気を証明する形で日本一大きな会場でのライブです
浅倉大介西川貴教本人たちは当時のインタビューにて共通して「通過点」というワードを使っています
のちに西川が
「後から別々に撮ったインタビューを見返して打ち合わせもなくそんなワードをお互いにキーとして出していて気持ち悪いくらい認識が一致していた」
と語るほど、本人たちにとってそれは真意であったと思われます

そんな中でTMRをさらに大きなものにするため封印し、ファンにその封印を解く鍵を委ねる

そういった形でこの長い名前のプロジェクトがスタートしています

 

西川本人が
「年末からずっと髪を切ることさえ禁じられていた」
と発言したようにこのプロジェクトは1998年の年末には決定していた様子です

 

この西川貴教の発言とは真逆とも取れる発言を1999年に浅倉大介が残しています

「封印を決定したのは東京ドーム公演の前日である、自然な流れで必要なこととして西川貴教と決めた」

といった内容です

こうやって夢物語のような展開の矛盾が見えてくる

 

こうした言ってはいけないと禁じられるもの、言葉にもアーティストイメージや筋書きをつけ、表現の一種などとして使用する部分もあるのがこの浅倉大介の所属事務所、またはレコード会社と思います

 

発言などをすることもなく、真意をつかむことができない事務所、制作スタッフ陣、レコード会社はどのような意図でTMR-eの企画を持ち上げたのでしょう

 

発言がない以上明確なことは言えないのですが、当時を振り返り、売り上げという数字の部分を考えますと

TMRの売り上げは決して悪くなく、しかし衰退が感じられていた

ように思います


ダブルミリオンを達成した1998年の1月発売triple jokerから1年、1999年3月発売のthe forceでは売り上げは半分以下となっています
大ブレイクは続いていたものの、やはり永遠に続かないのは当たり前です


さらなるブレイクを見込むことは大変難しい、現状維持をするのはアーティストスタイルとしてもそぐわない

新しい形でさらに驚かせるような展開をし、確実な固定ファンを獲得するのは必要不可欠
そして、西川が得意とする分野にバラード、何より歌唱力や表現力があり、浅倉大介の得意とする分野に幅広い音楽とコンセプトに沿った企画性のようなものがあります

 

もう一度、全く違った新たなものに最強の布陣で挑戦し、音楽性の幅を広げ確実な地位を作り上げる
といったところでしょうか

なんにせよブレイクしていたTMRがアーティスト個人の意思でこんなに大きな方向性の転換をするのはあり得ないと思います

 

 

さて、本人たちのこのプロジェクトに向けた気持ち的なものはどうでしょう?

 

浅倉大介という人物はよく言っても悪く言っても感情を音楽で形にしたりはしても、発言や行動で大きく示すことは少ないと思います

大嫌いな音楽があったとしてもそれが必要とあらば自身のフィルターを通し変換し結局は柔軟になんでもこなすような部分があります

例にあげるとデビュー以前、新人サポートミュージシャン時代に大先輩である葛城哲哉に向けて
「不快な音、エレキギターの音は大嫌い」
という発言をしながらも葛城哲哉のギターを使い続け、そしてそのギターの必要性をしっかりと理解し現在では自身でエレキギターを弾くようになったほどです

 

音楽としての理論はしっかりとあり、必要のないものは音楽にとって不快なものという考えが一本しっかりと通ったバランス能力の持ち主です
プロデューサー、作曲者としてもどのプロジェクトにも全力投球する姿は垣間見えており
「一つの音楽を表現するために、この仕事を全力でやる、いつもどおり自分の中にある完全な最高の出来のものを視聴者に提供する」
というスタンスだったのは間違いないと思います

 

また、プロデューサーといえど、すべての展開を担っているわけではなく、いち音楽アーティストとして西川貴教と似たような立場にはあります
これをやれ、あれをやれと自分勝手に指示をだしているわけではないのです
1つの案件をベストな形で世に出すためには自分の才能を使っていかに最高なものにできるかをやっている、と考えてよいと思います


音楽アーティストですので方向性の示唆はします

が、最終決定権はやはりお金を出資し販売をするレコード会社のディレクター、所属事務所の社長などでしょう

 

そこをふまえ、綺麗に割り切っているのが浅倉大介です

感情という面では

「このプロジェクトをやっているということよりも、一つの音楽の形を作り出しているのが楽しくてたまらない」

といったところでしょうか
基本的にネガティブな発言は一切しないのでそのくらいしか言いようがありません

 

 

西川貴教の方はどうでしょう
当時について
「レコード会社を担っているのは自分だから周りを引っ張っていかないと、などのプレッシャーを受け、気がつかないうちに神経顔面痛になっていた」

などマイナスな発言を多々残しています
このプロジェクト最中のみでなく過去にもそういった傾向はあったと発言しており
精神的に限界を感じ始めていたのがこの時期という発言も残しています
「なんでやっているのか全然わからなかった、話が持ち上がった際に反対した」
など、やりたくなかったという旨の発言は増える一方です

 

また、逆にポジティブな発言も多々残しています
すべて音楽、楽曲に関する発言です

 

例として
TMRの曲をTMR-eのライブでやるのを最後まで反対したのは自分だった」
TMR-eのアルバムの構成は絶対に崩すことのできるものではなく、当初曲のトラック数を1曲にし、すべて通して聴いてもらうものにしようと画策した」
TMR-eの衣装、MVに関してのこだわりは相当のもので、一番楽しかったのは浅倉大介にどんな衣装を着せるか考えること、金額は相当なものになっており、MVに関してはもう金額なんて考えていられる場合ではない」
「月虹のショートバージョンは自分よりであり、ロングバージョンは浅倉大介よりと感じる」
「月虹のMVはショート、ロングと2バージョンを作らなければいけないと考えている」
TMR-eという出会いから別れの季節はまためぐり、そして出会う、それが何年先に聞いてもまた出会える」
など

 

全力で楽曲やプロジェクトを理解し向き合う姿勢は垣間見れるところが多々有ります

やはり歌っている本人が歌詞、楽曲のことを理解していないなど言語道断であり
TMR-eの複雑な楽曲に関しての解釈も相当なものがあります

 

数年おきに度々披露されてきたTMR-eの楽曲ですが、2017年5月までに3曲が同時に披露されることはありませんでした
またボーカルありの曲の間を構成するインストゥルメンタルの曲が流れることももちろんありませんでした
ライブを構成する単品のバラードとしての扱いだったと考えてよいでしょう

TMR-eの曲をやると宣言され行われた2017年5月13、14日のライブにて
2000年3月が最後となっていた3曲通して全てが歌われる構成が再現されました

崩すことができないと言われていた

プロローグ inst
陽炎 vocal
ノクターン inst
月虹(ロングバージョン) vocal
セレナーデ inst
雪幻 vocal
エピローグ inst

この構成をそのままに行われました


TMR-eをやると言ったら3曲やるのはわかりますが、弦楽アンサンブルを用いてまでインストをやるというのはとても意味があることです

時間などの制限もあり、2曲がカットされたのは理解出来る部分です
3曲だけやるほうがどう考えても簡単です、ただの演出としてと考えても、ステージの移動をする間の部分のみを演奏すればいいよいのです
生演奏にこだわったからアンサンブルを使うのならば、他のオケ部分もいくらでもいじりようがあります


(後から、インスト部分はプロローグ等のオリジナル曲ではなく、そのさらに出会う前等を新たに追加したと西川貴教が発言していました、ん〜なるほど、、そこ拒むのねwというのが本音)

 

西川貴教本人の好みなどは知る由もありませんが
このTMR-eというものがどういうものなのか
現在でもTMR-eというプロジェクトの意図、真意をそのままに認識している
または
認識している聞く側を尊重している
ということがとても伝わったように思えます

 

当時、聞く側が発信されたものを一方的に受け取る音楽をやるつもりはない
聞く側が選び得る音楽にTMR-eはするつもりだという発言そのままの形であったと思います

特に月虹では曲間の空白の部分で起こる拍手まで制すような様も見受けられました(個人的な見解ですが) 

 

どのような心境でこのプロジェクトをやっていたのか、それを考えるとマイナスイメージが付きまとうものですが、

楽曲に関しての深い理解や揺るがない意図
ボーカリスト表現者としての最高の意識

が垣間見れた瞬間と思います
ただの深読みかもしれませんが、いちファンとしてはそう受け取れました

 

マイナス、ネガティブな傾向の西川貴教のこの1999〜2003年にかけての発言ですが
これらは大多数が事務所スタッフ、レコード会社へ向けてとして発言している形になっています


相手は一応一般人か取引先です
個人名をさすがに出せないのです、匂わす程度になんとか止めている部分はあるのです

 

しかし個人名が出された場合もあります
勿論浅倉大介に対しての発言です

 

名前を出すことが出来る個人というのはミュージシャンである浅倉大介に限られた話であり、濁らせたものは個人を断定できず、きっと浅倉大介のことであろう、と結論されることが多々あります

 

浅倉大介のことを言っているという事実から目を背けたいわけではなく、当時の環境を作り上げた全てが浅倉大介という唯一名前の挙がることができたミュージシャン1人に向けられている形になり、こういった確執のようなものは広がり続ける部分もあります

 

また、映像などに残っているわけでもないためファンの中で語られるに過ぎないような出来事に

西川貴教とある事務所の〇〇というスタッフが喧嘩している所を見た」

「スタッフである〇〇は厳しく、西川貴教とは不仲である」

などの噂は当時より多数存在し、スタッフとの確執が大きかったのではと疑う部分も多いです


感情を表に簡単に発言し、なおかつ個人名を出すことができないため、結局推測する余地を残し、誰に対し言いたいのかと真意がわからない形で発言のみが残ってしまう点が多々あり非常に判断が困難です

浅倉大介を含め、当時の環境や取り巻くスタッフへの不満をぶつける発言ということだけは事実です


そして真相は常に表立って出されるも、結局は当の本人たちが実際の関係性を話し合うところなど現在は確実にありえないのです

なぜこういった発言を続けるのか、自身にとってもマイナスな、炎上案件ではないのか
この部分に関してはわかりません


当時の悔しかった気持ちを反面教師とし、自信を奮い立たせたいのか
現状、自分の力で成し得たこと、出来上がった現在のTMRを誇りとするための言葉なのか
浅倉大介の価値を落とす発言をし、当時の復讐を現在したいのか
単に考えなしに言葉のあやとして出ているものなのか

 

現在、時折テレビなどで共演する2人は特に何事もなかったかのように接してはいます
もちろんメディアに表立っているのですから当たり前の事ではあります

 

一体不仲と呼ばれる現在の関係性はなんなのでしょう

確実に言えること、浅倉大介の言葉を借りて言うと「音だけは信じられる」ということ

 

どんな感情が渦巻いていようとも、少なくとも音楽に対しての姿勢と作り出された音楽に対しては上記した通りこの2人は確かな誠実性を持っています

 

 

よく言うスタッフって誰なんだ?という問い

浅倉大介サイドのスタッフを熟知する必要性があり、西川貴教方面からでは見えづらい部分はあります

この浅倉大介サイドというのも一つの信念をもっていると言える部分があり、そこは西川貴教の人格や性格などに最も反発する部分であると思われます

 

音楽アーティストたるもの、常に見られていることを意識し、発言には注意し、なおかつ音楽に対しては徹底的である
そういった部分が強いのが浅倉大介周りのスタッフと言えるかと思います

夢というものを売っている感じがします、私は


TMR-eスタートの際にビジュアルのために髪を切ることを禁じられたり、プライベートに関しましてですが人気絶頂期の結婚に大反対をしたり(これ不確かですね、思い込みとかあるかと、ソースなし!)など、アーティストとしては当たり前かもしれませんが、自由が確かに少ないと言えると思います


浅倉大介はそういった部分は一種のあきらめを持って生きているように思えます
音楽に全てを投じる為の覚悟がある人間です、比べるわけではなく覚悟の方向性が違うのです


また、事務所自体、前記した通りいわば浅倉大介の音楽を世に出すために設立された浅倉大介の世界観を重視する事務所でもあるのです
浅倉大介本人の個人的な意向ではなく、音楽アーティストである浅倉大介というひとつのものを作っている会社なのです

 

そしてレコード会社に関しましても少々特殊と言えます
社長であった伝説的存在のディレクターがいて、MVに対しての相当なこだわりをもつ人間であり、近年においても過去を語る上で必ず登場する人物です

お亡くなりになってしまいましたが今でもあの人がいきなりスゴいことを言ってきてあのころこういった活動展開をした、という話をよく聞きます

ここに書いた人物だけではありません、様々なキレ者たちの集まりだったことが各方面より伺えます

すごい会社だった、と今でも語られているのがアンティノスレコードです

 

所属していたこのアンティノスレコードの収入源、つまりトップアーティストだったのがTMRでした

「俺が稼いだ金で新人とか他のやつ売り出しまくって予算を俺に回さないで…」とのちに西川貴教は苦言しています
レコード会社に所属する以上当たり前なのかもしれませんが、不満が多々あった事実もあります
後輩を可愛がっていた事実もあり、逆恨みをしている様子ではないと受け取れる部分も垣間見えます


最高のものを提供するため、音楽に陶酔し、MVでの意外性などを追い求める反面
ストレスという形で西川貴教個人の意思は追い詰められた部分があると思われます

 

追い詰めた人物とは誰か?と言えば、上記したような環境の中で「指示を出していた人物、そして環境やポジション」そのものに違いないでしょう

ですがその本人(達)も仕事のため、よりよい物を作るため、アーティストとして、精一杯の良き選択をしていたことはまぎれもない事実です

 

 

決別の決意に至った出来事

西川貴教により2017年5月14日に語られました

自身で歌詞を書いた際に、自身のとても大切なものを形にした歌詞を事務所(不確実です)に提示したところ
「羽根のない翼でも」
という一節に対し(どういう意図かは不明、冗談だったのかもしれない、軽い意味合いだったのかもしれないが)

「これどういう意味なの?」

半笑いにされた瞬間、今考えたら決別を意識したそうです

 

誰が、というのは本人も語っていません、憶測だけでは語れないということが大前提にあるため
この発言をしたのが誰だったのかは西川貴教本人の口から出るまで、簡単には語れない大きな問題と思います

 

決別については、当時よりこの曲の収録されているアルバムは

浅倉大介と音楽での戦いがあった」と発言していました
受け取り方も様々ですが、よりよい音楽にするために意見のぶつけ合いをしたりした、という意味かと思われます

また、このアルバム制作時期ごろより、浅倉大介との立ち位置が対等に感じられるようになった西川貴教は語っています

殴ったら殴り返すのではなく驚いて理解し、音楽で再構築し殴り合いを表現するようなタイプの人間が浅倉大介であり
殴ったら渾身の力で歌って殴り返すようなタイプの人間が西川貴教と思います

ちょうど対等な同じステージの上にて音楽での殴り合いをしていたような時期ではないかと思います

 

そんな中で腑に落ちないと感じていたものが形となり、人間性までも否定されたと捉えた瞬間がここにあったと感じられます

そして、その発言を人として許せないと感じた西川貴教は決心をした、というところでしょう

 

以前までは自身の力もないため道は一つしかないと考えていたが、ミュージシャンとして大きくなれた今、別の道を選ぶという選択肢を持った
そして動き出すマイナスの推進力を得た

そんな瞬間だったのではないかと考えます

 

 

ファンの感情、そして現在の楽曲のゆくえ

現在のTMRのライブの音源、Rebootと呼ばれるリアレンジされた楽曲については両ファンの抱える複雑な思いがあります

 

前提として作曲者である浅倉大介は自身の楽曲に対しての強いこだわりを持っています
以前JT2という半年以上続くツアーを行った際に最初に構成した演奏が途中から変化し始めてしまい、納得できずツアーのテコ入れを行ったということがありました
完成形のレベルが下がったための怒りです

 

それから月日も流れ、楽曲提供者となった近年では
TMRの楽曲のアレンジに関しては一度作ったものを西川に渡したのち、バンドスタイルとなって完成されるものと考えている」
という旨の発言を残しており、割り切ったものとの考えを持っているように見えます

本当に本人がそう思っているのか、もちろん定かではありません

 

それではファンはどうでしょう、全てが聞く側のためにあると言い切るTMRの活動と楽曲です

 

TMRサイドのファンは
西川貴教の歌声や人間性が好きで全てを受け入れる
このリアレンジされたものが好きでありそれを聞いている
原曲が一番いいがこちらはこちらで好き

 

浅倉大介ファンは
CDでリリースされた完成された曲が好きであり、アレンジが施された時点で全く別物と考える
そういった曲の変化も浅倉大介の楽曲の一つの形と捉え行く先を見る

西川貴教自体の活動の一環と考え、浅倉大介を否定するような物は聞かない

 

といったところでしょうか

 

しかし、兼オタと呼ばれる存在は複雑極まりないものです
大半が西川貴教の声と浅倉大介の音の競演を聞いているのです
完成されたものを一度壊し、現在の形にして発表することの大切さは浅倉大介のスタイルとも言える部分です
ライブに行き、その楽曲が現在どう歌われるのかを聞きたいという部分はあるのです
ですが、ライブで披露されるアレンジは浅倉大介という存在は歌われるメロディー以外は徹底的ともいえるほど排除された形です
ただ、やってくれるだけで嬉しいと思う人、新たな曲がリリースされその曲をそのまま聞きたいと思った人、そういった期待は裏切りへと形を変えることが多くなるのが現状です

ファンのためにやっていると明言されつつも、こういった隙間のファンを排除したいのでは?と捉えられるような発言

そういう事なのでしょう

 

どうしてそこまでしてTMRの曲やるのか、それはTMRという存在が大きくなりすぎた、求められすぎたというのは言うまでもありません


現にabingdon boys schoolというTMRのバンド面をサポートをしていたメンバーによって構成されたバンドを結成しバンドサウンドに特化したプロジェクトを立ち上げ、仕分け、としたことがありました
が、結局のところTMRほどまでは大きくならず、そしてTMRでしかできない楽曲への需要は確実に募り、並行しての活動は数年で幕を降ろしました
他にも事情があったのでしょうが知る由もありません

 

TMRのことを西川貴教本人も大切に思い、そしてファンも大切に思っています
現状維持は大嫌い、それでも現状を変えながら維持するしかできない

そういったしがらみとも取れる何万人もの思いの形は現在のTMRを作り上げていると言っていいでしょう
誰かの意図などではなくどうしてもそうなってしまったと思われます

 

 

このTMRをまつわる2人をどう考えればいいのか、今後どうするのがベストなのか

ストレートな考えは好きなものしか見ない
嫌いなものは見ない

ただそれだけですが、兼オタと呼ばれる人には大問題です

 

あのTMRはどこに行ってしまったのか
あの愛したTMRは帰ってこないのかと考えることもしばしばです

そういう悲しい感情を持つ人は少なからず居ます

そういった人は2人の競演を望み、お互いの音楽を尊敬し合っているところを少しでも見いだせたならば救われる

そんな一筋の希望を見ているように感じます

 

浅倉大介は何も語らず、西川貴教からは辛い過去として語られ続け、現在全く違うものになってしまったTMRから、当時のTMRを見つけようともがいているのです

 

初期TMRとはなんだったのか
音楽の才能がTMR-eのように出会い、一瞬道が交わり、すれ違い、反発し、そしてまたいつか巡り会う
そんな触れらない完成されたものとして私は扱っています

 

懐古し、あの頃はよかったと思う部分も確かにあります
ですが、あの一瞬の偶然交差した才能の競演がTMRであり、それは音楽の1つの形として大切に誇りにして生きて行くものと考えます

いつかまた、ふと巡ってくる季節、そんなものであれば良い

 

そして再度、浅倉大介の言葉を借りて
音だけは信じられる

 

そう考え、自身で信じられる部分までを探りこの長きにわたる混沌とした関係性との付き合いを続けたいと思います

 

 

 

2022/10追記

多分これが続編(妄想であり陰謀論

だが私はこれが残念だが一番しっくりきた

おとめしを見てとても気になったaccessのMVの話をまとめとく - ちっちきちっちっちっちっち

L'Arc〜en〜Cielの90年代広告はマジで神がかって時代の象徴すぎるからマジで見て

日本語になってませんがとにかく要約するとかっこいいということです
私の90年代音楽画像フォルダから寄せ集めてみました

あと色々あって数枚追加した記事書きました

 

chikichikichi.hatenablog.com

 

 

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L'Arc〜en〜Ciel

ご存知の通り日本を代表するロックバンドであるラルク
BBAな私はまさにドストライクな世代でした
小学生高学年のときに3枚連続シングルリリースとかやってましたね

当時はネットがやっと普及し始めたくらいで
パソコンを持っている子には最新情報やラジオの書き起こしをプリントして学校に持ってきてもらい、情報交換に全ての時間を費やしていました

クラスを大きく分けるとラルク派閥が4、GLAY派閥が4、残りの2はジャニーズやB'z、私のようなT.M.Revolution派閥もいました

BBAだからそう思うのかもしれませんが

とにかく音楽業界がいい時代だったな〜〜〜〜〜〜と本気で思いますね

 

そんな世紀末の雰囲気の中で、クラス内で一種の通貨となっていたのがラルクの雑誌の切り抜き

1冊雑誌を購入したらとにかくラルクのページをごっそりとカットして学校に持って行くとそれを通貨として切り抜きの交換がスタート
ラルクロンダリングを繰り返し、自分の買っていない雑誌に載っている他アーティストの切り抜きをもらう

まあ、いわゆる交換なのですが、これ本当に通貨になってましたね

「この間遊んだときに遅刻してきたでしょ!」→『ラルクの切り抜きあったからあげるよ!』→「今回は許してあげる」

そんな感じです

切り抜きはカラーコピーでは変えられない何かがあるらしく(当たり前ですが)
VHSで歌番組を録画したものよりも全然価値が高かった気がします

体感ですけど

 

長くなっちゃいました、本題に入ります

 

90年代後半、いわゆる世紀末を象徴するような広告展開をしていたラルク

まず、ラルクといえばhydeがクッソイケメンなわけです
いまでもちっちゃいオッサンとか呼ばれながらもイケメンの代名詞だと思います
無論hydeだけでなく、多分世間的に見たらTETSUももちろんイケメンの部類かと
見る人によってそりゃ違うのでアレですが

それが全く生かされていないこの広告!!!!!

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winter fall

winter fall

 

 

メインビジュアルってやつですね!
見て!きれーな外国のねーちゃん!!!!!!
どこかのブランドものの香水の広告か????と錯覚するほど
そしてそのねーちゃんがかもしだす怠惰感、廃退的な雰囲気
当時全盛期だったヴィジュアル系とかゴシックともとれるけどもっと洗練されてる気がする


正直ラルクを知らなかった人はこれくらいの時期にはいなかったものです
ラルクが何をしたかっていうと、多分ブランドイメージの定着を狙った広告展開したんじゃねえか!?
と思ってます
正直広告効果とか全然わかんないんで適当ですけど

 

企業などが広告と呼ばれるメディアの展開をするには段階ってものがあります

まずは商品(ラルクは曲)

そして会社の認知(ラルクはバンド自体)

最後にブランドイメージ(ラルクはバンドのイメージ)

 

このブランドイメージ部分にあたるかと思うのですが
これが見事というか美しすぎるというか
ラルクってすばらしい

多分ですが、なんでこんな素晴らしく感じるかというと
曲の日常感みたいなのを徹底的に連想させないビジュアルを見せることで、
曲もカッコイイ、ラルクもカッコイイ!こんな世界観に浸りたい!
みたいな完璧な相乗効果が超うまくいった!みたいな感じなんでしょうね
そりゃこの広告見たら外国の雰囲気に呑まれます、そして曲はとてもキャッチーであり、カッコいい、日本人が当時大好きだった曲調!
あえて顔を出さないのだからバンドはカッコイイかカッコよくないかどちらかでしょう
カッコイイ広告と曲のイメージに興味を持った人がバンド本体を注目して見たらhydeの超絶イケメンビジュアルが飛び込んでくる

 

まさに鉄壁

 

さらに顔だけのバンドと思われたくないというリーダー(TETSU)まで完備
そりゃ売れるわ!!!!

 

 

ある悲しい出来事により3人で活動再開したラルク、まだドラムのyukihiroはサポート扱いでいません
どうでもいいですがyukihiroの黒い巨塔と呼ばれる自宅の壁を黒く塗ったのは私の兄の仕事仲間です(今もそこに住んでるかは不明)

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HEART

HEART

 

顔も出してますがもう雰囲気写真でしかないですね
変に着飾るでもなく、この廃退的な白黒のビジュアル、そしてシンプルなロゴ
めっちゃかっこいいじゃないですか

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アルバムのブックレットにもねーちゃんは登場します、もちろん本人たちも
これがまたかっけええんですよ、んでアルバムにも合ってるんですよ
イメージぴったり!ってやつです
ほんとにブックレットまで素晴らしい、CD買う価値ってこういうことって思います

 

まだまだ続く!ラルクのビューティフル広告!

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HONEY

HONEY

 

コレクションしてる割にこれしかないのが悲しいのですが
美しすぎて8時間くらい見てたいですね
ヴィジュアル系にこういうメインビジュアルの曲とかジャケット、結構あるんですが
ラルクが一番世界観作るのうめえな!って感じてますね
まずバンド名から得してる!みたいな

 

ネーチャンだけがモチーフじゃないです

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forbidden lover

forbidden lover

 

 クジラ!!!!!

かっけえよ、、、曲にももう本当にバッチリくるんだよ、、、

 

 

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メンバーの手! 

Pieces

Pieces

 

これ正直な話、なんてことのないいいバラードなんですよ
ところがMVではめちゃくちゃ綺麗な外国の街中でラルクが呪いにかかって人殺したり懺悔したり、とっても大事なシーンでハエをドアップにしたり
マジ企画意図満載すぎんだろ!っていう
しかもジャケットはトンボなんかい!もう本当好き!ってなります

 

ついに出ましたアルバム2枚同時リリース!

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ark

ark

 
ray

ray

 

ただのビジュアル系でもロックバンドでもなく、時代を象徴するラルクになりつつあるビジュアルですよ、もう本当に
これを持っていない人はそうそういなかったレベルでしたね

多分こんだけカッコイイ連呼してますんで、ラルクのカッコイイイメージはよ〜くわかったと思います

 

 

だが、ここで終わらないからラルクは半端ないわけで

 

 

 

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デカチョウ!!!!!!!

ハートに火をつけろ! [DVD]

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わかります?この世界観
これを面白くないと思う人は個人的には相当つまんない人生送ってるんだろうな〜と思ってしまいます
スベってる!じゃなくて、何が?って人ね

 

ちなみにラルク史上最強の笑えるMV集と思うのはこれ

www.nicovideo.jp

これ最高すぎて8435346時間見ちゃいますね
元ネタにしているのがラルクのメンバーが行ったしりとりっていうのがまた最高

CHRONICLE [DVD]

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CHRONICLE2 [DVD]

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 こっちにも続いていますが、やはり初代が最強

ラルクのカッコよさを存分に出した表の面が確立されているからこそできる広告だと思うんですよね
裏はこんなにフザけたバンドであり、ラルク普通のそのへんにいる面白いニーチャンだよ〜っていうタネあかしがあることで親近感がドっと湧くという

ただただキレイなところを見せていてはダメな典型的な例がAKB48だとかのアイドル業界でしょう
Winkはキレイすぎた相田翔子よりも、どことなく親近感があり美人だが完璧に手の届かなくはない鈴木早智子の方に人気が集まったりと人間は完璧すぎてもダメなんです
親近感はとても大切です

ラルクはカッコいい!カッコいいのにこんなにゲスいネタも面白い!というふざけた面白いバンドというイメージまで作っています

 

こんなの売れるわ!!!!!!!!!!

 

また時代も味方しています、テレビをつければ音楽番組が溢れていたような時代
CDもめちゃくちゃ売れる、そりゃ広告展開も遊びを作れるほどに予算が降りる
乗りに乗った音楽業界の中でもトップクラスで売れていたラルク
もう最強ですね

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めずらしく顔を広告に出すラルク、写真集ですもんね、なるほど


色々と時代も変化し、音楽CDが売れづらくなる2000年代の広告も美しいですし最高と思ってます

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REAL

REAL

 

ガーゴイル像(だっけ)めっちゃかっけえよ!!!!!

 

 

ラルクが踊るとか最高だったのにやっぱり時代の波にちょっと負けたところありますね

archive.org

STAY AWAY

STAY AWAY

 

初回特典は(たしか)ラルクのフィギュア付き、アホらしい♪めっちゃラッキー♪めっちゃラッキー♪っていうCMも本当にアホらしくて最高
完璧なのになって思ってましたが、一つの時代は長く続かないものですね

2000年代に入り数年したところでソロを開始したラルクですが
基本的に広告のスタイルは変わってないように思いました

だってメインビジュアルが本人が病院に行って撮影してもらったレントゲンってなんやねん!

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ついでにロゴも最高にかっこいいです
ROENTGENのこのhがハイドのソロディナーショーで料理の形となってたのには感動しましたね、行ってないですけどあれを食うために行きたかった…

f:id:chikichikichi:20170603130502p:plainこれの形のパイ的なのが皿に盛ってあるという素晴らしさ


マジでカッケエよ!

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このシャンデリアの広告がマジでカッケ〜〜〜〜〜〜!!!!!

こうやって見比べるとやはりラルクの90年代広告は洗練されすぎてるくらいの何かを感じます

そんなこんなで90年代を象徴するようなラルクの広告はめちゃくちゃ最高!

ということでした

2000年代もくっそ面白いことやってますがそんなに詳しくないので自分で調べてね♥

 

 

 

追記

どうやらタイミングとかそういうものが合ったのが2021年、今年だったようで、
2003年ぶりのHYDEソロと人生初ラルクを見てきたのでよかったらどうぞ

 

chikichikichi.hatenablog.com

 

chikichikichi.hatenablog.com

 

chikichikichi.hatenablog.com

 

chikichikichi.hatenablog.com

chikichikichi.hatenablog.com

 

MDをデジタル化したくて大奮発したHi-MDウォークマン MZ-RH1!実際に使ったメリットデメリット編

前回奮発して購入したこいつを実際に使った

 

合計4万円をはたいて買ったこいつを実際に使うまでにも紆余曲折あったので

 

とうとうMDが到着してテンションがあがる

これでようやくMDをデジタル化できます
早速愛用のMacちゃん(iMac Retina 5Kモデルっす)に接続!
以前使っていたHi-MDは確かSonicStageで接続してたなぁとソフトをSONYのページより探す

あ!これやらかしたわ!

さすがにソフトウェアの環境は様変わりしてました

SonicStageというAppleでいうiTunes的なソフトは消え失せ
代わりにX-アプリというものに成り代わっていました(正確にはSonicStageの後継)

SonicStage V | サポート・お問い合わせ | ソニー

なぜやらかしたというとMacなんです
OSは5Kを買った以上El Capitan

X-アプリが動くのはsnow leopardまで!

つまり対応してない!!!

もうMacのOSを上げてたどる道を全て通っているかのような感覚
(普通のMac使いはそんなこと無いかもしれません)

知ってたし…よくありすぎるし…どうせ情弱だし…

 

で、思い出しました
下取りに出しても2000円くらいにしかならないと言われた古いMac(OS Marveriks)をまだ保管してることを

そしてリカバリディスクとしてsnow leopardのインストールディスクも持ってました

ダウングレードすれば使える気がする!

まあ、詳しい方はお気づきかと思うんですが、これ無理なんですよ
Appleの信者ですがこういう時本当に泣きそうになります

約3日かけてインストール→なんか失敗→インストール×20回くらいを繰り返し
光学ドライブが壊れてるんじゃないかとUSBにインストーラー入れたりなんだりして
疲れ果てた時にググったら

ダウングレードなんてできないからあきらメロンってさらって書いてありました

どうせ無知ですわ、無知って罪っすね、ハイ

 

こうなったらWindowsに頼るしか無い訳です
Mac使いの恥とは思いませんが、もうなんかちょっと負けた気分ですね

10年近くMacのみ使って生きてるのでWindowsを入れるって言ってもよーわかんない!BBA直前だったし!

なによりマジで失敗したくないし!まずはX-アプリをちゃんと調べる

なるほど、どうやら

X-アプリWindows7から対応してるけどなんかコード的なのを書き換えないと使えないこととかあるっぽい

そしてWindows7ならどんな情弱だろうが入れれば使える

 

windows7のサポートもちょうど数ヶ月前に終了したころでした
これは絶好のタイミングなのかもしれない

オッケー!全然わかんないけどBoot CampっつーのでMacWindowsを入れられるのは知っている!!!
そしてWindows8〜のダメさはよーく知っている

つまりWindows7を買えと

とりあえずamazonで検索


正規品はこれ

ここからプラス2万とかなんかもうすっげー悲しいのでお安いのを探しました
シリアルだけとか中古とか結構あるものです
どんなとこから買ったのか忘れましたが7800円くらいで発見
一応ちゃんと正規品だと思う…見分けつかないし…

普通にシリアルは通ったので大丈夫だろう…現在も使えてるし

 

そんなこんなでMacWin7を入れて、ソフトも入れる!
snow leopardと3日も戦ったのにものの1時間くらいでさっくり終了

情弱ってつらい

 

X-アプリもさっくさく動く!
うわーい伊達にメモリ32GB積んでねえぜ!!!
Mac様なめんな!!!!

 

準備完了!実際に1枚取り込んでみました

ウワサ&過去の体感では1枚10分くらいだったんで結構安心してました
何分入っていようがデータ量の最大は変わり無いし!15分で1枚完全なものにできる!みたいな気分でした

実際に1枚1本読み込んだところ早い早い!!!!!

もうね、普通に再生して録音してっていうのは本当に無理です
なんとかしようと思っているならあきらメロンです本当

大体300分くらいのラジオが録音されているMDまるっと1枚15分で取りこめるんですから小躍りしましたね

ガンガン取り込んでHDDにキレーにWAVデータが日付順に並んだ時はちょっと高揚感がヤバくて一人で笑いましたね

1日ざーっと取り込み作業したあたりで多分30枚近くが終了
これは早いと歓喜してたんですが、やっぱりどうやっても問題が起こる訳で

X-アプリがエラーを吐きました

PCのHDの残り容量は現実には500GBはあるのに容量不足
アプリケーション終了させて再起動したら普通に問題なく取り込めました

オイオイ、これはめんどくさいよ、困るけど取りこめるなら許してやろう
何より対策わからないし

と思っていたんですが、ついに決定的な困った出来事が

取り込みに1時間くらいかかるMDにブチ当たる

どうやっても何回やっても取り込みが1時間経っても終わらないというものが50枚に1枚ほど発生

取り込めない内容はマチマチですが、大体が特定のトラックだったり
2〜3トラック続けてだったり、MDの最後の方に入っている、つまりディスクの外側の方だったり

10年以上ほこりにまみれていたディスクなのでしょうがないものもありましたが
何回かトライすると取り込めなかったり取り込めたりということが何度か

これはまだディスク側の問題かなと思うので諦めがつくのですが

X-アプリがWAVに変換できない曲もある

アプリケーション側の問題と思われます
相当安定して動いてくれるのですが、こちらも30枚取り込んだら1トラックだけ変換できない、くらいの頻度で発生

ただし再生は可能ですのでX-アプリ以外のソフトでの変換は可能!
ちょっと手間ですがなんとかなります

ちなみにX-アプリにて取り込まれる音源の拡張子は「oma」です
馴染みがない方が多いかと思われますがVCLMac、Winともに変換可能です

 

そんなこんなで実質取り込めないMDは物理的にぶっ壊れてるものくらいなんじゃないかなぁと思います
1000トラック読み込んで、どうやっても取り込みが無理だったのは2〜3曲程度でした

ただし30枚に1枚くらいは1時間取り込みが終わらないというのは避けられないと感じましたね
ただ要因は調べもしていないし調べてもわからない人がこれ書いていますので解決できる可能性は一応ありということで

まあ、全編録音しながら流すなんてことするよりぜんっぜん早い!!!!!
全然許容範囲だ!!!MD最高!!!!!

そんな感じでざーっと取り込んでたんですが…

 

MDの恐ろしい壁にブチ当たりました

これは人によるので、私がアホだったという笑い話になればいいですが
一応注意ということで

 

当時ラジオは聞きながら同時にMDで録音しつつ、コンポのボタンでトラックマーク(チャプターみたいなもん)をつけてたんです
当時は中学生でお小遣いでMDを買って、なるべく多くの情報を詰め込むためにこまかーーーーーーーく曲を分割
編集して〜CMカットして〜2時間の番組をなるべく短くして〜とビンボーらしく頑張っていました

 

そもそも聞きながら切っているので先読みしてボタン押してるんですよ
CM入りそう!ハイ!曲がかかりそう!ハイ!ってかんじで

結局聞き直さずに編集するようなこともなく2時間の番組が100曲に分かれて1枚のMDに収録されてるなんてものが超大量に眠ってました(これが後々悲劇を呼ぶ)

 

この方式で録音したMDが約20枚くらいありました
20枚で本当に良かったと今なら思えます

 

実際にラジオの音源を管理するとなったら1本にするのが当たり前かと思います
誰も1分おきに次のファイル開いて〜なんてのは望んでいない!

 

当然編集が発生する訳です

やり方は3つあります
MD側で曲やトラックマークを編集し、1本化して取り込む
X-アプリ側に取り込んだ後に編集して1本化
取り込んだ後に別ソフトにて編集

手間を考えたらPCで作業したいので①はナシ!
③も一度書き出したりするような時間はもったいないのでナシ!
X-アプリ側に取り込んだ後に編集して1本化
これしかない!となったのです

 

が、コレ、罠です

 

音源の長さによりますが10分超えの曲を2曲結合させようとしたりなんかしたらエライことになります

実際に100分が90トラックほどに分割されたものを一気に1曲にしようとしたところ…

結合するだけなのに40分くらいかかる!!!!!

 

これには絶望しましたね
イヤ、分けたのが悪いんですけどね
バカみたいに調子乗って

基本音楽を取り込むならばそんな問題は発生しません
そしてラジオだろうが後で編集しやすいようになんて無駄な気をつかってトラック分けるなんてことしなければこんなことにはなりません

ただ、結合はマジで時間がかかるから10分くらいのものまでにしておけよ!約束だぞ!

ってだけです

 

適当な編集でいいならMD側で聞きながらやる①か

CMカットとか、大量のトラックを結合するなら取り込んだ後に他ソフトでやる③のどちらかにしないとマジつらいよ、っていうか編集自体もつらいけどという感じです

 

それではよきMD取り込みライフを

 

SONY Hi-MD ウォークマン MZ-RH1 S

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