ちっちきちっちっちっちっち

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サカノウエヨースケ、坂上庸介について考える

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↑の雑誌の左ページは紛失してしまいましたが「ウワサの男!?」とあったと思います

2000年11月にデビューしたサカノウエヨースケ坂上庸介について自分のためにも書きたいと思います

大変キラキラしてる曲の数々を残しているサカノウエヨースケですがしっかりと暗い影も持っている

本当に人間らしい人だなぁと思うので軽い気持ちで聴くとなんというか振り回される、そんなアーティストと考えてます

どうしてそうなった!?というのがすごいのでざーっと時系列で

 

とってもよすぎる記事があったからメモ!

kai-you.net

 

彗星の如く現れデビューを飾るサカノウエヨースケ時代

これ本当にこんな感じだったなぁと書いてて思います

時系列はほぼ覚えておらず残念なのですが当時浅倉大介の周辺が激動だったので追い切れていなかったですね

2000年になり、それまでメインの活動であったIcemanが休止し、入れ替わるように発表され続ける新たなプロジェクト

新人=ニューフェイスと呼ばれ、2000年夏に行われたDA's party βversionに出演が続々と決まり、まさに激動の1年でした

同期と言っていいのがThe Seekerで、まだK.ITO+D.Kという名前でイベントでお披露目されるという情報に衝撃を受けたものです

このイベント、βversionという名の通り以前の主流であったIMやTMR、PB2などは一切でない、まさにニューフェイスたちのイベントだったのです

中堅的な存在は木村由姫コタニキンヤ

そんなイベントの出演者の発表でほぼ最後に発表されたのがD.A.N.K、そしてサカノウエヨースケでした

D.A.N.K=Daisuke. Asakura. New. Kidsの頭文字です、

その名の通りなのですが、当時は「は?!」という感じで発表をラジオで聞いたのを覚えています

このDANKプロジェクト、viewsic(おそらく現music on TVになった)にて同タイトルのドキュメント番組が存在しオーディションを勝ち抜いたDANKのメンバー出演する当時流行っていたASAYANのような番組でした

後追いで見たので連動して放送はされていたと思うのですが、どれくらい並行して放送されていたのかはわかりません

もうとにかくニューフェイスニューフェイス言ってたので訳わかんねぇよ!ってなってたのです

とにかくなんだよDANKって、、、しかも吉本所属?はぁ!?何が起こってんだ、、、という感じ

以前から吉本興業との関わりはあったもののこんな形で前面に出てくるのか?と

不安というかどうなっていくんだと、期待もしつつ追えるのか不安みたいな感じでしたね(結局途中で諦めるので未だにちょこちょこ不明な部分多い)

まぁ、そんなこんなでDA' PARTY βverが間近に迫ったころ、多分1ヶ月きってたと思うんですが、急遽もう1人でます!ニューフェイスが!と発表があったのがサカノウエヨースケでした

 

おっ!と思ったのが、作詞作曲は本人が行なっているらしい、この浅倉大介ハイスピードリリースが続く中で編曲だけを浅倉大介が行うらしいという情報

正直みな「編曲しかしないからあんまり関係ないな」とかそんな印象だったんだろうなと思います

勝手に私は期待してた派閥でした(そんなのいるか知らないけど)

編曲しかしない=恐らくベースがあるんだろう!

しかもストリート出身と聞いたので楽しみにしてましたね

ライブ自体には行けなかったんですがね!!!!めっちゃ後悔してます!

 

ライブも終わり、参加した人の感想を聞きましたがやはりニューフェイスたちの入り乱れるイベントなので情報がめちゃくちゃでしたね

そんな中でもサカノウエヨースケは「声が高くてかわいいタイプだ」みたいな情報がよく聞こえてきました

ストリート出身の10代だと聞いてたのでどんな曲とか全然わっかんない訳です

勝手にアコギだけ持ってオープニングアクトやったって聞いてたので「若いゆず?!」みたいな気持ちでいました

 

そんな中で浅倉大介が音楽を務めるアニメ、グラビテーションのインフォメーションがありました

音楽監督!と期待したのを覚えています

そのオープニングの曲がサカノウエヨースケに決まった

これがデビュー曲 SUPER DRIVEでした

SUPER DRIVE

SUPER DRIVE

 
グラビテーション TV-tracks

グラビテーション TV-tracks

 

 

上記したニューフェイスの曲もごっそり使われるとわかり1話をTVの前で待機してましたら流れたCM、

これが私のサカノウエヨースケとの出会いでした

 

めちゃくちゃ度肝抜かれましたね

今考えたら当たり前なのですが、ゆずが出てくると思ってた訳ですよ

流石に盛ってますが

 

まあ、パツキンのパンキッシュな風貌の、でもナチュラルな顔したにーちゃんが舌出してて、こんな浅倉大介プロデュースアーティスト見たことない!と思いましたね

明らかに毛色が違うのがきた、と

 

結構浅倉大介の周辺って作り上げられたアーティストたちが多いと思います

一番サカノウエヨースケに近しいと感じるコタニキンヤでさえカッチリと固められたDarwin Inc.のベースを感じるというか

それが全くない気がしました

それがなんとなく心地よく感じた気がして

浅倉大介の音楽からは離れたくはない、だが世界が狭くなる気がしていた中で風を感じられる

嫌な言い回しになっているかもしれませんが、私にはそう感じました

これは一種の才能の共演かな、と

 

そんなこんなで激動の2000年の年末11月にニューフェイスが入り乱れる中で浅倉大介プロデュース曲SUPER DRIVEにてサカノウエヨースケが彗星の如く現れてデビューを飾ります

色々裏でこう動いてたんじゃないかってこともあるんですが吉本、ソニー、業界といろんなことが本当に混ざりつつ色々動いてたのではないかと憶測してます(テキトー)

 

2nd〜TOYまで

トータルプロデューサー浅倉大介とクレジットに記載があったのですが、

このまま浅倉大介プロデュースの1人になる、という空気はあまりなかったように思えます

どこか上記した通り少し外れた存在のようなポジションにいたように感じられたのがサカノウエヨースケでした

 

SUPER DRIVEから約4ヶ月経ち春風がリリースされ浅倉大介の発言を聴いていると

サカノウエヨースケ君は若いからどんどん曲を書いてくる、アレンジが追いつかなくて大変だ」だとか

サカノウエヨースケ君とディズニー映画(たしか102)見に行った」だとか

よく名前が出ており、曲も毎週のようにかけていたのを覚えています

吉本繋がりでタイアップも全シングルについていたり、絶えず情報が流れてきていたなと感じていました

そんな中で、3rdのカップリングに見慣れぬE'S ARMという名前が

ジョバンニ

ジョバンニ

 

この名前、ソースも見つからず当時の記憶で何となく知っているので本当かどうか定かでないのですが、

SHAZNAのボーカル、IZAMと記憶しています

イーズアーム=イザム

ですね

どうして知ったのか全く覚えていなくて調べなおしたいのですがファンの発言くらいしかひっかからないという

直前にAQUAという曲をSHAZNA浅倉大介が提供していたこともあり、関係のありそうなアーティストが周りを固め関わっていたように思います

ソニーの抱えてる編曲家とかがとにかく関わってるんだろうな、みたいな、詳しくないんで勝手な印象です!

 

デビューより約1年がたち、4thシングルラベンダーがリリース

ラベンダー

ラベンダー

 

ここまで変わらず甘酸っぱい青春!という曲を浅倉大介が編曲をしリリースし続けていましたが、転機が訪れます

5thシングル、恋のサバイバルナイトフィーバーがリリース

恋のサバイバルナイトフィーバー

恋のサバイバルナイトフィーバー

 

編曲はE'S ARMとクレジットされており、浅倉大介編曲のクレジットが一切無くなります

恐らくですが1年間、4曲の契約だったのでしょうか

理由は不明です、浅倉大介の活動から見ると、accessの7年ぶりの活動を控えており、

翌年の2002年には過労で倒れたような出来事もあったことから本当に忙しかったからでは?と思います

が、浅倉大介のクレジットがなくなった後の2曲がまた素晴らしい、、、

この2曲が私は好きでたまらない

(別に編曲が誰だからという意味ではないのであしからず)

おっそろしくいい曲です

浅倉大介の手を離れた後のこの2曲があったからこそ2019年になってまでこんな記事書いてると本気で思いますね

 

こうした形で浅倉大介の編曲時代を経てE'S ARMそしてランプシェードではchokkakuが編曲

ランプシェード

ランプシェード

 

chokkakuという方、浅倉大介周辺でわかりやすく例を挙げると貴水博之のI&Iの編曲をした人です

知っての通り、売れっ子アレンジャーさんがここでも出てくる

どうやってどうしてこうなったのか

クレジット関係を見ていてここまで面白いアーティストも珍しいかと

あんまり業界とかわかってないんですがそれでもすげーとなります

というかどれだけ売り出されていた、期待されていたのかがわかるかと

 

そしてリリースされた1stアルバム

このアルバムと6thシングル、ランプシェードをリリースした2002年末

浅倉大介と所属していたアンティノスレコードは荒れ始めていた頃でした

アンティノスの稼ぎ頭であったTMRがほぼ活動を行わず、ソニーミュージック浅倉大介CCCDの導入問題が勃発し、2003年にはアンティノスは空中分解します

その直前です

ランプシェードとTOYのリリースはアンティノスの親であるエピックソニーへ移籍してのリリース

確かアンティノスレコードからCCCDではないシングルを最後にリリースしたアーティストがサカノウエヨースケだった気がしてます

それかエピックから、めちゃ適当ですいませんがそういった形でソニーの歴史に名を刻んでるんですよね

TOY

TOY

 

そして2003年が訪れ、アンティノス空中分解

サカノウエヨースケは上記の通りエピックへ移籍済みです

だがここで一切の活動がなくなります

売り上げなのかなとちょっと思ってもいます

正直やはり凄く売れたわけではないのです

本人が「俺の曲をこんな風にして売り出しやがって!」と思っていて決別した?

これもどうやら違う気がします

やはりアンティノス空中分解とCCCD問題にて浅倉大介が一切のリリースをやめたこと、その辺もあるんじゃないかなぁ

いや、でも、、、と謎ばかりでした

 

そんなこんなでサカノウエヨースケ(私から見てですが)消息不明となります

 

それから私自身も動きのない浅倉大介にしびれを切らし、全く他のアーティストを追い出します

再度サカノウエヨースケに出会うのは2005年ごろ

 

Callリリース!闇!

とある西川ファンが「お前の地元にサカノウエヨースケ坂上庸介と名を変えてストリート全国ツアーでやってくるから行こう」と声をかけてきたのがきっかけです

2003年ごろというのは何度も言うように激動の時代で、西川ファンも浅倉大介ファンもその他のアンティノスに関わるアーティストたちは本当に全てが宙ぶらりん状態

西川ファンの友人はいつのまにかサカノウエヨースケにたどり着きずっと追っていた様子でした

まじめに昔はそんな距離感でみな彷徨ってた感じ

 

「とにかくMDで渡すから、坂上庸介の」といわれ、借りたMDきいてぶっ飛びました

この印象はいつまでもかわらないと思います

 

CALL

CALL

 

これです、もうジャケットからカオス

めちゃくちゃサカノウエヨースケのあのキャッチーな明るいポップに乗る凄く明るいあの歌声

ここまでは一緒なんですけど、ポップなんだけどロックに傾いた曲調と、

何より 真っ黒な歌詞

ブックレットも闇!!!やんでいる!!!!

帯を裏返したらボーナストラックの歌詞が書いてあるんですが、ブラック!!!!!!!!!!

 

どうしたんだよ、と、あんなに明るい可愛いにーちゃんが

何があってこんなことになったんだ

 

正直凄くキャッチーだから簡単にすんなりときけてしまうんですよ

歌詞で何を言ってるのかとか考えずに流してしまう

そして歌詞を追うととんでもない闇

これはやばいことです

さっとひろっても

それでも君が笑うのならば僕は君を許さない

揺れ動く感情にこんがらがり影を手にいれてしまったようだ

もっと僕の頭が良かったらどれだけ上手く生きれたんだろう

アリみたいに小さな男は僕に言う、君が望むならなんて、冗談じゃねえ

僕の部屋の中飛び回るTVの虫をやっつけろ

人の目の中で生きていく事を選んだ俺なのにI LOVE YOUさえ言えない弱虫です

神様とケンカをやめた日から 2年が経とうとしていたんだ 気づけば何も残してないや… 気づけば何も残ってない…

 

まだまだ、まだまだ、まだまだまだまだあるんですが、

何かがあったとわかります

それでも君が笑うのならば僕は君を許さない

これなんて1曲目なんですよ、どうしたんだとしか

当時やはり西川貴教が荒れに荒れていた時期でもあったので同様の何かがあったと考えたんですが、矛先がどうなんだろう、わからない

う〜ん、、、みたいな

 

凄く危険な空気を感じつつ、貸してくれた友達に「どうしたの?」と聞きました

 

「このアルバムが出る前に尾崎豊のトリビュートアルバムへ参加し、それ以外にもクリエイティブな分野に傾いてアメリカ行ったり絵書いたりアーティストになってるよ」

 

と、さらりと

ちょっとこのファンがすんなりと受け入れてるギャップ的なものにも違和感覚えた覚えあります

尾崎豊のトリビュートはこれ(いまだ聞いたことない)

GREEN ~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI (CCCD)

GREEN ~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI (CCCD)

 

このファンとの、現実?とのギャップ?違和感がまた魅力と今ならちょっと思います

はざまで揺れ、闇を感じるからこそ魅力にも繋がるくらいこのアルバムは本当に訴えかけてくるものがあると私は思っています

 

とにかく、あまり突っ込んではいけないのか?

と、とりあえず見に行こうとストリートライブに行きました

 

地球カフェ、ストリートライブ

一応場所は群馬、高崎でした

 

到着するなり「おー!!!きたでー!」みたいな、それはデビュー当時と変わらない、明るいサカノウエヨースケ坂上庸介でとても安心したのを覚えています

集まったファンは10人そこそこ、アコギで弾き語られるあの曲この曲、正直そわそわしっぱなしだったのでgood moning musicをやったことしか覚えてないです

帰り際にAXでライブを行う、ハンカチがチケットがわりとなるのでハンカチを買って巻いてきて欲しい、という告知がありました

インディーズを楽しむというか、あの輝かしいメジャーからストリートに舞い戻ってもそんな風に音楽を続けている姿がとても印象的で、チケットのハンカチを購入しAXに行くことにしました

 

どんな話で出たワードだったか「約束な〜」と言っていたのをとても覚えています

そんな話をしながらちょっと感じていた(私だけかもしれませんが)のが、

目が死んでいる!!!!!

そう思ってしまったんですよね

やはりCallというアルバムを聞いたからかもしれません

そうだと思いたい気持ちもあるのですが、当時は思ったのです

正直に申しますと初期というか3rdあたりをだした頃からどこか目が死んでる!と思うことあったのです

でもそこはミュージシャン、芸能人、そんな時も多々あるだろうと別に追求も嫌悪もしません

若くして頑張っていると考えていたような気がします

なにより、アーティストってそういうことかな、みたいな

そんなこんなで混沌としていた2000年代初頭の終わり2005年だったかと思います

AXにて初めてスパイラルスパイダーズと坂上庸介のライブを見に行きます

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これがすげーーーーーよかったんです

しんしんと降る雪のようなランプシェードのアレンジを今でも覚えています

友達同士で遺言という思い思いテーマの曲にノリノリで踊っていたら友達が号泣し始めたり

初めからずーっと泣き続けるファンの女の子がとにかく印象的でした

表面だけでなく身に刺さるような曲をライブをやるという印象がすごかったです

坂上庸介の歌詞にあるように「僕から削り取った言葉は世の中を走っていく」というのが見えた気がしました

この明るさと重々しい闇

なんというバランスなんだと思っていました

他のオーディエンスもそう受け取っていたのでしょうか

笑顔で、でも本当のことは言わない

そんな感情で私は見ていましたが全員が同じ思いをしているかはわかりません

ただ、そんな風にライブを見ているのだとしたら

やはり恐ろしいライブが行われていたと思います

何度も足を運んでいたわけでないので「いつも」がわからないのですが

アンコールラストでステージに客の半分ほどがバーっと上がったのに驚きつつ私も登りました

あれはなんだったのでしょう

そんなライブ見たことない、本当に楽しかった

 

(私にとっては)混沌の中でAXライブが終わり、上記の画像の通り、メジャーデビューが発表されました

これに合わせ行われたライブがついにやってきます

 

東京ドームにて無料ライブ!

画像が残っていたので載せておきます

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200人限定で無料招待でした

画像の通りのところでマウンドには入るなときつく言われたのをよく覚えています

Youtubeに翌日だったかのめざましTVで取り上げられた映像が上がっています

たしか絶対負けない弱虫の歌をやったかなと

 

このライブを見て、私はなんとなくで坂上庸介から離れます

単純に友達とあまり連絡を取らなくなったからとかです

坂上庸介自体も活発な活動がすぐに行われなかったように思います

タイミングだったのでしょう

 

コタニキンヤと再共演、雛鳥の皺寄せ

そんなこんなで何年も離れていました

思い出しては曲は聞いていましたが、再度サカノウエヨースケに出会うチャンスが訪れます

それがほぼ同期であったコタニキンヤのこのイベント

「雛鳥の皺寄せ」


「雛鳥の皺寄せ」ダイジェスト

結局行かなかったのですが、この謎タイトルをつけたのは西川貴教

わかりやすくアンティノスの雛鳥たちに皺寄せがなされた結果のイベント


「アンティノスてれび!?」復刻版 #06

 

映像だけ見た印象は、やっぱりまだ目が死んでいたとちょっと思っています

そしてまだこうやってコタニキンヤと交流があるというか、共にイベントに出るんだなと思いました

まだこの時も「なつかしいな、元気だったんだ〜」程度でした

再度名前を見た時、というか定期的に調べているうちに、なんとあのD.A.N.K.とRUN&GUNで共演していた米原幸佑とヨースケコースケというユニットを結成しているではありませんか

衝撃でした

まさかそこが繋がるのか

そして最近コタニキンヤがオーガナイザーとして行われているイベント、 EDKに出演とばかり思っていました

あれ?いつまでたってもしない???

疑り深いだけかもしれませんが、雛鳥の皺寄せでなにかあった?

 

わかりません

一番出やすそうで出てくれそうなものなのに

本当にわかりません

Twitter浅倉大介に偶然出くわした際に「師匠〜」と慕っていたところを見てもそう言った良くない何かがあってという感じではなさそうです

EDK自体も当時の再現をしている出演者の選び方をしているように感じるところがありますのでなんとも、、、

なにかあるのかな、と思ってしまっています

いつかでてくれたらなあということで

 

そんな感じで時は流れ2019年にまで飛びます

 

TOY再現ライブ!

まままじか!と!!!

いくしかないと思いました

行きました、2公演

やはりライブで全曲聞くなんて夢のまた夢だったのですよ

内容に関しての感想も多々あるのですが、何よりも思ったことはひとつ

目が死んでいない!!!!!!

と、ほんとやなやつですいません

でも本当に何があったのってくらい違ったんですよね

紆余曲折ありすぎてここにたどり着いた、ヨースケコースケ、このTOY再現にたどり着いたんだとふと感じました

そしてギターの白石さんがさらっと言った一言に「Callも最高だよ!聞いてね!」みたいな一言があったんですが、どんな意味かとかないです、なぜかそれであの闇はもう晴れきっていると感じてしまったんですよね

なんでだか、そんなさらっと言える、いち作品としてカウントされていると感じられたというか

暗い過去だったのかもしれませんが、それも一つの歴史で坂上庸介の作った作品だよ!とあっさりと凌駕されたような感情でした

 

長々と書きすぎて何言おうとしてたのか全くわからなくなってしまったのですが、

私の存じているサカノウエヨースケ坂上庸介の断片的なものは残しておきたいと思っています

闇だとか明るいだとか感じ取るのは人それぞれなので考察でもなんでもしたいようにできるのですが、あんなにしゃべっているとおもしろいニーチャンって感じのサカノウエヨースケから溢れてくる音楽ってものには驚かされまくりです

また、「サカノウエヨースケ」というアーティストを聞いていきたい、見ていきたいと思ったTOY再現ライブでした!!!!

 

 

抑えきれない僕らのJ-POP

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