こんなに感動すると思ってなかった
こんなに藤井隆 に詳しくもないのにこんなに人生に食い込んでた とは思ってなかった
語りたくなると思ってなかった
誰かにこのディスコの神が伝わればいいな〜〜〜
2023年5月27日に行われた藤井隆 さんの「藤井隆 meets 松本隆 「ロミオ道行」~再演&外伝~」 って公演に行ってきました
私が腹立つので経緯を話したいのですが、
大体こんなオタやってると「ナンダカンダやると思ったのね〜多分やらないからチケット無駄になっちゃうわよ〜」っていうご心配をいただくと思うのです
あと、こうやって懐古厨してるとあのころのを懐かしみたいのね〜って思われるだろうがそれもありつつ正直わたしはそんなに「あのころはよかったな」ってのもありつつ「歴史を完全記録したい!」みたいな感覚のが強いんだという悲しい主張をしときます
なのでこの公演「ロミオ道行」ってタイトルだけで行くの決めました
なぜなら私が藤井隆 曲で最も多分好きな曲「未確認飛行体」が演奏されるという確約がタイトルからされているから!
なので一般ではありつつも全力でチケットとりました
しょーもない感想は一番下!セトリも多分あってる!
芸人藤井隆 との出会い
見ただけです、出会ったことないですが
初めて見たのは多分小学生だったと思います、普通に吉本のお笑い芸人の一人 として出会いました
普通に学校で話題にするためチェックしていたホットホットするおもしろい芸人さん だった、それだけだった
きっと吉本新喜劇 とかに出てるらしいからなんだかちょっとゲスいネタ言いつつあのコテコテ笑いをする芸人さんの中からホットホットで頭一つ飛び出たので売れたんだなー 程度に小学生ながらテレビを見て学校でマネをして、という普通〜な認識 でした
ミュージシャン・アーティスト藤井隆 との出会い
無論浅倉大介 からの出会いでした
何度か過去の記事で書いたりしたのですが、私の認識では1999年12月31日に藤井隆 浅倉大介 GAKU-MC でデビュー! ということが起こると発表されたと思っています。
1999年12月31日のDA's PARTYにて初めてのライブらしいライブに行った私が最初に目にしたのは、なんとも発表しかしていないこのフライヤーがほかのものより一際小さくそこらじゅうに落ちていたという鮮烈なちらばる蛍光オレンジ という記憶です
ただ、この上の長ったらしいキャッチにその展開加減 が綺麗に出ててとてもナンダカンダらしいなと思います。
ちらばる蛍光オレンジ
当時いーろんなチラシが他にもあったが、やはりプロデュースものみたいなのでこの辺ってガチオタにはチラシいらないんだ、落ちてていいんだと軽いショックも受けた
私にとっては宝なので今でも大事に保管してます一応
まあ、そんな写真さえない出会いでした 上記した通り普通に芸人さんとして売れていたしなんとなく好感を藤井隆 自体に持っていたので「はえ 〜〜〜〜!おもしろいことはじまる〜〜〜〜!」 と楽しみにしていた感じでした
で、リリースを待っていたのですが、なんというか今考えてみればなのですがめちゃくちゃ大きな流れ があったのですよ
もともと知名度 があったからとかももちろんあるけど、もちろん無名のアーが売り出されたわけでもないので、バンバンテレビで藤井隆 「ナンダ カンダ」 みたいなあの独特なCMのタイトルコール的なのを聞いた
あとMVの撮影に行った友人というのも多かった、最前列あたりにてしっかり写り込んでいたりしている方とかとってもその当時よく名を聞いたDAファンって方々がお祭りごとに参加するようにこのMV、曲自体を楽しんでいたのを覚えています
「ビッグヒットシンゴー!ナンダカンダ!」というCMが存在するのですが、これはもう先に見越して作られてたよな 、と子供ながらにわかる感じ
いろんな音楽番組で見たし、そこで芸人らしく藤井隆 から語られる 「浅倉さんとはいい意味で仕事で、最初浅倉さんがどうしても僕で曲作りたいって言ってるって言ったから会ったら真逆のこと言ってた!」みたいな芸人としての藤井隆 の立ち回りにもとても好感 がありました
たぶんきっと本当に良い意味での「企画ものの曲」それを作ってくれたミュージシャン達に失礼のないように芸人藤井隆 としてちゃんと消化しなければならない という藤井隆 の誠実さに子供ながらに感動したのです
当時からダウンタウン なんかにネタにされていた「こんなキャラだけどカメラ回ってないところに行ったらただの暗い誠実な人間」みたいな、ザ芸人!な人
ただ、雑なことをしないんだな、ひたすらに良い人なんだな
という印象がミュージシャン藤井隆 との出会いでした
とっても印象的なのはMUSIC STATION でタモリ さんという絶対的存在に安心感を覚え、見事に失敗する藤井隆 でしょうか
音楽番組ラッシュに慣れてきた中、ナンダカンダプロモーションで最後に出演したのが生放送のMステ、終始半分くらい芸人に戻れるというような感じがタモリ との会話に現れていて「すこし調子にのったっていいじゃない」な感じがする藤井隆 がしっかりと最後カッコよくキメられずタモリ に芸人として泣きつく
みたいな、本当にミュージシャンを急遽やらざるを得なくなった芸人の面白さが凝縮してる回と思ってます
そんなこんなでナンダカンダ以降1年ほど音楽番組で藤井隆 のDA曲を楽しんでいました
2001年ごろからはアンティノス繋がりであるTMR との音楽番組でのセット扱いみたいなのも楽しみつつ、藤井隆 というミュージシャンのデビューとは思わず、やはり「企画」な芸人の歌うDA楽曲を大きな流れの中で楽しんでいた という感覚です
3rd シングルからの藤井隆
どうやら次は違うらしい、なのでここまででさようなら〜
当時はそんなもんでした、音楽番組をチェックしていたのも2001年の紅白までで、 その後は私の追いかける範疇外でしかなかった
芸人藤井隆 については音楽に関わることによりちょっとキャラク ター自体もなにか違うものになってきていて、次のフェーズになり大人しくなったなみたいな感覚もあった気がします
おそらく藤井隆 自体のキャラク ター的なものが大きく、誠実なキャラだったり、芸人が真面目なドラマに出演するなどというところのほうが伸びて見えるんだというような印象でした
なので特に気にもせずいたのですが、藤井隆 はデビュー曲だけでなどもちろんなかった、、、
絶望グッドバイも普通に知ってはいたのですが、私にはふつうに良い曲程度でそんなに刺さらずだった記憶があります(ふつうにすきだよ!カラオケでも歌ってたよ!でもその程度だった)
それが一気にミュージシャン藤井隆 がかっこいいと思える曲に出逢います
それが2002年2月11日にOAされたHEY! HEY! HEY!での「未確認飛行体」 でした
このHEY! HEY! HEY!はTMR が出演しており、USJ で行われたSPの回で、芸人藤井隆 と(ほぼ芸人の)TMR の「ジョーズ と上手にナイスショット」とかいう素晴らしい企画があったりとすごくお笑いにも特化した面白い回で、さらにPUFFY も共演してたり、TMR はOut Of Orbit〜Triple ZERO〜 での結構最初のTV出演だとかなんだとかと色々凝縮していたのでしっかり全編を録画して何回か見直していました
こんなのね
まあ、おもしろい回だった
で、普通さっさと早送りで飛ばしてしまうのですが、その中で藤井隆 の曲を何度か聞いたのです
最初「こんなオシャンになっちゃって〜」 程度で映像さえ見ていなかった
でも2度目くらいになんだかちゃんと確認したくなった、なんだこれ、オシャン曲なだけでないぞ となんだか思った
これね
いまならわかるとこもあるのです、当時キリンジ に出会っていなかったり、聞いていた曲自体が少なかったのでこのオシャンロマン曲を藤井隆 が歌っていてなんともドキっとしただけで現象が理解できなかった
めっちゃ良い曲じゃんなにこれ!!!!!!
それだけの印象、衝撃でした
とにかくいい曲、またこのスクショ通り曲の印象にも合っていて USJ の街並みが素敵で、いいものを録画したと何回も見直しました
正気なところMVより全然こちらの方が映像的に好きで、カメラのレンズについた雨の雫も本当に素敵(高画質で復刻してくれフジテレビジョン 様〜〜〜)
まあ、そんな感じで「藤井隆 ってこんなに温度がないようななんともオシャレなせかいが似合った人なんだ」 という印象をもち、とても良い曲をやっているというのがなんだかデビューを見た人間として嬉しく思ったりしてました
その後そんなに注視していた感じでもないのですが、しっかりと音楽活動をする藤井隆 がとても面白い存在としてなんとなくな記憶で曲をチェックしていた記憶があります
いろんなコラボ曲やってるなとかなんとなく眺めていた感じ
というのも私の音楽聞く姿勢的なのというか余裕がなかった
当時J-POP全体など見回せなかったし、自分が好きと思うものしか認めないみたいなスタンスさえあった
非常にもったいないことしてたなと今ならわかるのですが、その辺を経緯としてウザがたりしたい
最強の暗躍者、本間昭光 とのであい
全然暗躍者なんていうもんじゃない、ド失礼ってわかってるんですが、私からの目線の話なので
上記したとおり正直作曲者でアーを選ぶとかもせず、好きなアーティストにこだわり曲を聞いてきたりしていたのでTVで好きな曲がかかっていたとしてもそこを徹底的に調べてその他の曲をとかあんまりせず、「1曲なんとなく聞いたのが好き」とかそんなよくわからない閉鎖的な音楽を聴いていたりしたのです 意味わかんないかと思うんですが有名アーティストのベストアルバムとかあんまり興味なく、B’z の●●いいよね、ほかはあんまわかんない、あれだけすき!ってのがたくさんある感じ
そんな若き日もすぎきった2000年代の後半になんとなく「そういえばあの好きな曲っぽいのを聴きたいなら作曲家辿ればいいじゃーん」とそんな音楽の聞き方にようやく辿り着いた私はなんとなく再確認したかったポルノグラフィティ のシングル曲とオノアヤコ のTWO OF US という曲あたりをなんとなく調べます
ほんとはもうちょい色々いたけどとても印象に残ったのがこの2アーティスト
ポルノグラフィティ の曲についてはまあご存知という感じのあの感じだが、しっかり聴きまくった記憶がなかった、すっごく好きな曲は勝手にTVで流れまくっていたから知らぬうちに知っていたからどんな人たちが作っていたのだろうかと確認したくなった
とりあえずこれ聴いとけと思ってこれ
デビューからの数曲は普通に知ってるし大好きだったのですが、その後を知らない
何かで知った渦とネオメロドラマティック とジョバイロ がひたすら好きだった
そして最近の曲は何か私には刺さらない、、これはなんだ、多分アレンジャーだ!と思ったのがきっかけ
はい、ここでようやくいろーんなところで何となく見かけたこの方
本間昭光 さんが暗躍していたとようやく理解します
調べて出てくる出てくる、あの気になった曲の作曲編曲がこぞって本間昭光 さん
ああああ〜〜〜しっかりやられてたんだ、J-POPはこの人にしっかり牛耳られていた〜〜〜〜〜と勝手に理解
全く知らないところで耳に届き、しっかりと何かの記憶を植え付けていきまくられていたと理解しにやけました
それと同じくオノアヤコ のTWO OF US を調べ出てきたこの方コモリタミノル
上記と同様、「オマエカ〜〜〜〜〜〜」って叫ぶ曲の多さ
例に挙げてないけどCHOKKAKUさんも同様、、怖い
こんな感じで全然作曲の方々編曲の方々など詳しくないんすよ、それでもわかるこの暗躍加減 しかと私はこのへんに育てられていた、、怖い!と点と点が線につながり一気に理解する感じ
そうなった時、真っ先に思い浮かんだのがそうです、藤井隆 の「ロミオ道行」 だったんすよね
あ、、、なんか豪華とはわかってたけどこんなにヤバかったんだ
みたいな理解
名前さえ今まで上げていなかったが松本隆 という超絶作詞家の光により見えていなかった、こんな恐ろしい製作陣で固められた面白すぎる最高アルバムだったのかとようやく理解した瞬間でした
ミュージシャン藤井隆 との出会い
そんなこんなでなんとなく藤井隆 自体をメディアであんまーり見なくなった昨今
あらびき団 とかでしか私の見てるテレビでは見ないな〜と思ったりしていたころ(時系列テキトー)
結婚して愛妻家としてという話はよく聴いていたし、どうやらそういったものもあり芸人藤井隆 はあまり見ないらしいとなんとなく知っていた気がしています
で、ふとそういえば音楽活動まだしてるというのはなんとなく聞くな、と調べて出てきたのがハイコレ!!!!!
VIDEO
これ見る直前に(たしか平井堅 あたり)が、テレビで「DJの神様っているとおもうんですよね!失恋した日にちょうどなんとなくクラブに行ったら人生を変えるきっかけになったドンピシャな曲が流れたりしたり、DJの人じゃなくてそういう巡り合わせがある!」みたいな話をしてたんですよね
は〜たしかに偶然にもすっごい1曲に良いタイミングで出会うことあるな!って思っていた
そんな感じの話を思い出す程度に私はディスコの神様に出会ってしまった感覚があった
おもいいいいいっきり私が知っているあの「未確認飛行体」のオシャンな芸人藤井隆 が完全にミュージシャン藤井隆 となり存在していた と知って驚愕した
あの芸人とアーティストの間でもがいていたダンスを踊る藤井隆 ではなかった
芸人だとかじゃなくてそういう「自分に求められたものに真摯に応じていった」結果こんなにかっこいい藤井隆 が見れてる って超理解してしまった
また曲の内容もとてもよく、こうやっておそらく「普通の誠実な人間」藤井隆 という人間が歌うからこそあのストレートな歌声でそのまま伝わるものがある んだと思われる
これ藤井隆 だからできるやつだ、すごいと本当に感動した
あの本当のところなどどうだか知らないが確かに滲み出る人格が作り出すこのスッキリとした澄み切ったディスコ空間は尋常じゃないというか
真のディスコなんてきっとドロッドロだけど本当の理想のディスコに立つ藤井隆 というか
こんなにそんなステージが想像できて似合うのは藤井隆 だけだ と思ってしまった
芸人でありその芸人の中でもあのキャラク ターで、音楽活動に辿り着いて真摯に向き合ったからこそこんな独特な印象が生まれるんだと、本当にびっくりした
他の曲がどうとか正直知ったこっちゃない、これがこの時の藤井隆 の率直な見え方
本当にこんなのディスコの神様じゃん!藤井隆 !と、、、なんというかまっとうとした社会からディスコや音楽に楽しみを求めに行くという「普通の人たち」からの神様はこれだと感動してしまった
すごいな、ちゃんとやるべきことをずっと誠実にやってきた結果がこのアーティスト・藤井隆 なんだと本当にすごい と思った
そんな感じでロミオ道行ライブを見た
そんなこんながありつつ、あさはかーーーーな知識でも私的には2000年代の青春の音楽がしっかりつまったものとこのアルバムを思っているので、タイトルだけでいくことを決めました (ここバカだったなーと思いつつ重要)
セトリはこれ
絶望グッドバイ(イントロだけ)
01. 未確認飛行体
02. 究極キュート
03. 地球に抱かれて
04. 幸福インタビュー
MC
05. リラックス
MC
06. 素肌にセーター
07. モスクワの夜
MC
08. 乱反射
09. 代官山エレジー
10. 絶望グッドバイ
あってるはず!!!!!
正直ね、上記したこととかなんとなーく頭の隅にあってもこんなに重要なことと思っていない
やっぱりライブだコンサートだってのは行って見たものが全てだ!と思い込みたいところもあるのでそんなに内容は考えてもいなかった
タイトル見て松本隆 と藤井隆 がロミオを再演してお話きけちゃうよ! だけの情報で私は十分だったのでウッキウキで行きました。
いちおうDAオタというものなので、まあナンダカンダもアイモカ ワラズもいれといてあげるよ!ってなったらそれはまたそれでラッキーという程度
そこに水刺すのが一番勿体無い よね、自分的にも、イベント的にも!とちゃんと趣旨楽しもうとは思っておりました
で、普通にフライヤーに書いてあったので、詳細読んでから行けよって話なのですが どうせ楽曲やるパートとトーク の2部構成だよねと思っているわけです
なので最初に音楽パートが始まる〜やった〜と見てたら入ってきたキーボディストに戦慄しました
見とけよって話なんですが、本間昭光 にしか見えないけど遠いからわからない、でも確実な本間昭光 がいたんですよ
いや、何度でもいう、書いてあったのですけどね、見てなかった!バカだから!!!
で、全員出揃い、絶望グッドバイのイントロが流れ「あ?マジ!?絶対未確認飛行体スタートと確信してきたのに!」 と思っていたらしっかりと先読みされていた様子でイントロだけで絶望グッドバイが終了して「やられた、、」 と思いました
ここでもうね、なんつーか「完全にすべてをわかりきっていやがるぜ!」 みたいな感覚がすごくってこの再演という重いものへかける人間を思いやる感じ がとてもわかってしまった
で、聞けました、大好きでたまんない未確認飛行体はしっっっっっっかり聞けました
あの振り付け もしっかり見れて、もうこれだけで私は満足
好きな曲を本人が歌っているのを聞ける
これは本当に世界で一番重要なすばらしい出来事だと思い出した
幸せだった
それと、曲はじまってすぐに最前列からすーっと1stツアーのグッズのうちわを受け取る藤井隆
自然すぎてそういう演出かとさえ思った
んで、MCになり「これ当時のを今借りたんですよ!あとでサインして返すね!」と面白すぎる現象 が起こっていたと発覚
このかた、素敵だった!!!!! めっちゃ激アツコミュニケーション!
で、スクリーンに歌詞がシンプルーにデザインされて出るんですよ そりゃ松本隆 VS藤井隆 っていうイベントだもんなって思いつつ
ライブでの映像にありがちな遅延があったりしたのですが、藤井隆 自体が後ろ振り向いた んですよね
ゴリッゴリのミュージシャンでさえカンペ用意して足元見て歌ってることあるから、流石にこれだけ曲作られてから時間経ってるし足元のカンペとかが連動してて後ろみたのかなってなんとなく考える
だが藤井隆 の素晴らしさを私はナメてた
おそらくなのだがここで振り向いたのは単純に「いい歌詞でてるね」という振り向き であり、どう見てもカンペ的な何かが全くない状態で歌っていた
これ私がよく見にいくアーティストはだいたいそうだから当たり前だとか言うんですけど、ほんとにカンペ形式なのって多いと言うか
間違えるよりそっちのがいいに決まってるじゃないですか、でもそれをやらないって多分当たり前にしているすごいことで、ボーカリスト の意識の表れ的なのはあるよね って思ってしまうところ
どっちが悪いじゃない、カッコイイの標準が違う的な
まあそんな感じのとこまで藤井隆 のしっかりとした誠実性を見てしまったりしてました
本編はとにかくしっかりとそのままに聞こえてくる各曲が幸せ で噛み締めてました
で、トーク 的に流れをしっかり覚えていないが、 ポイントだけ
デビューした当時の2曲はレコ社の担当に全てが決められていたが、3rdを出すとなり「藤井隆 は誰にとかあるのか?」と意見が求められたため「松本隆 さんがいいです!」 と声をかける経緯となった
松本隆 は「芸人が曲書いてほしいって依頼があったけど藤井隆 知ってる?」と家族に相談したところ「マシューだ!!!!!!!」となりそれでもう決定
いろんなことやっとくべきですね、あれは似てますが別の方なんですけどねとしっかりとしたマシュー南 へのご配慮 も素晴らしかった
絶望グッドバイの歌詞を受け取った初稿で藤井隆 は「ジャンケンで表現とかがなんか恥ずかしい」という気持ちがあり、松本隆 に直で「これはどうかと思う」と言った
松本隆 は制作現場ではよくあることと大らかに受け取ったがまわりにいたスタッフたちは尋常じゃない空気感 で(むっちゃ本間さんが静止画から立体になっていくって言ってたが感覚読み取れず、、まあ恐ろしい光景って感じ)どんどん「ヤバイ」って空気感になっていった
その後すぐ藤井隆 は「アレやばかったかも」と思い直し 、スタッフに「やはり取り下げたい」と言ったが、もう松本先生は家に帰って書き直してます!!!とそんなやばそうな空気感 だった
そしてできたのが絶望グッドバイ
そしてその初稿の歌詞がもったいないよね、的な話になり話は堀込高樹 の元へ
詞先での楽曲提供ということになったが、元々そんな作り方はしたことがなかったので2週間くらいを見込んでいた がやってみたらとても言葉の音程等が先に決まっていたりするのは合理的であると気がつき4日程度で完成しとても勉強になった! 的な話がすごい面白かった
未確認飛行体についてもあまり制作時間がない という感じだったので一旦キリンジ のストックを見ていたところ、「キリンジ メンバー内では明るいから、もっと陰湿だからキリンジ は」となっていた未確認飛行体を出そう と決めた
だが、当時のディレクターが提出後に未確認飛行体の存在を知ったらしく「キリンジ に足りないのはああいう曲だ!出すな〜!」とお怒りになった (細かなニュアンスは適当だが出来る限り正確に書いたよ!)
これめっちゃ面白かった、名曲すぎるんだよ!!!!!!!となるわ、、、
松本隆 と筒美京平 と本間昭光 の関係 とかも面白かった
最後にこの製作陣でやったのは中川翔子 の綺麗ア・ラ・モード だったよね、と筒美京平 はレコ社だかでの打ち合わせに白いスーツで現れ、すごく殴り書きスタイルでの楽譜と参考資料を渡されるだけと言うコミュニケーション らしく
その楽譜はすごーく線になった音符や休符を読み解く、、、という感じで大変だよね〜 と松本隆 と本間昭光 は苦労笑い話的に語っていた
本間昭光 はそれでも確実なところには「ここはフルート、ストリングスで」などキッチリとした指示は書いてあったから、その間を丸投げされた中で決めるのが楽しくプレッシャーだった みたいな話をしていた
藤井隆 的には先日22年ぶりという新喜劇での舞台をやってきて今日はロミオが21年ぶり、これもそう言う時期なんだと言う何かなんだろうなと噛み締めてた 感
司会の方(32歳髪艶が若い)が山梨のブックオフ でロミオを見つけた(着ていたTシャツは1stツアーのもので、ようやく去年ヤフオク でゲット)そんなゲキ熱ライターだったのでこのイベントの司会にってお呼びがかかった(めっちゃいじりやすそうないいにいちゃんだった、、、)
以前出会った若い方にこのアルバム好きって言われたりとか、現在の藤井隆 の音楽につながるのは全てがこのアルバムだったと感じていると語ってた
超絶紳士だった、、
音楽レーベルを作るにあたり、歌うの好きだと自分で言い切らないといけない!と覚悟を決めたというような話もとてもよかった
とにかく全てがとってもよかった、、あと全部構成や曲や運営的なものを決めた方(名前忘れたすいません)がいて、いろんな方をしっかり考えて作られた素敵イベントなんだと本当に思った
もっともっとあったが書ききれぬほど素敵だった
ミュージシャン、藤井隆 かっこよかったです!!!!!
終了!