
画像は豊洲で浮いてたロゴを思い出から再現したもの(こんなんだったよね)
後追いの私にとってはなんとなーく断片で知っているがなんとなーくでしか知らない
そして伝承というもので補われたものが多すぎるのでちゃんと公式な史実的なのを確認したかった次第です
最近accessであったりTMRだったりの初期の初期というものを色々見直すことがあったので、Icemanはとっても色々例外が起こってるよなって思い直したりしました
デビューの際のゲン担ぎ、ルイードでお披露目とかも15JAMというなんともスペシャルなイベントでのスタートを切っており、今は存在しない東京 POP STOCKでの開催だったりとかだった
そんな感じでなんか面白いよねっていうところです
IMのメンバー集め
まず気になるのはいつの段階からなのかです
思い出せる発言だけさっくりいうと
「100人以上のボーカルのデモ聴いた」
「伊藤はソニー的なオーディンションでギタリストからの発想じゃないなこの人と思い捕まえた」 「黒田は最後の最後(スタッフの勢いがすごくてほぼ拉致)」
的なやつでした
100人以上のボーカルのデモ聴いたって言いますが入手さえしておければそれなりに短期間でも可能とも思いつつ、どれくらいじっくりかは判断がつかない
伊藤の情報に関しましてはそれなりに早めに決まったのだろうとわかる程度、その早めってのも基準がわからん
そしてボーカリストもできるがやはりそうではなく、変幻自在的なものを想定していたからこそいろんなデモ聴いて見つけたって感じなのでしょうかね
黒田は最後の最後だったというのはとてもそれなりに重要であり、期間がやはり定められていたことの裏付けでしか無いところ
デッドライン(ドラマのタイアップ、なんなら記者会見)が決まっていた中でのユニット構築なんだなという話
なんというかわかり切ったことでしか無いが検証というか確認したいんでそんな感じだなぁと思ったりしました
デビュー曲の経緯的なの
どう確信に至ったか全然情報がバラバラで定かで無いところだが、DARK HALFはメンバー集めつつすでに一度作られていて、黒田の加入が決まった後作り直されたというのは確実、程度ですかね
これはEDKの直前生放送ニコ生的なやつで黒田本人から語られていた
だがまあ、とても普通にあることと思われますのでそんなに重視してないという部分
IMの結成に関わりすぎているのがこの闇のパープルアイというドラマのタイアップ
ドラマ作品自体よりも初主演雛形あきことのタイアップがデカかった印象は絶対的と思われる
雛形あきこと組んでCD出してた流れももちろんあるが、その元となったところは何?というのもちょっとある(これは流石にわからない)
兎に角、確実なところは雛形あきこ初主演ドラマでプロデューサーで組んでる浅倉大介が曲をやるというタイアップだったというところかなぁ
なんというかコネクション的なタイアップってものという印象は絶対あると思うんですよ、どんな経緯かってそれは確実雛形あきこしか言いようがないんですけど、、
これがユニットで行くぞ!だったのかどうかとはか実は全く本当のところは判断はつかないと思われるところ
だが、時は1995年〜1996年、ユニットで再デビューの場でしかなかったと思われるところでしかない。
ソロデビューはとっくに果たしたしソロシングルデビュー的なのも1995にやったばかりだし、やっぱりこれは「あのaccessの浅倉大介が新たに始めたユニットのデビュー曲の発表の場!」としっかり用意し、用意され、たくさんいろんな計画があったのだなというところですかね
ドラマの放送に合わせるものなんだからそりゃ期限も決まってるだろう、そしてボーカル探しは難航しまくっていたので「最後の最後で黒田」が成立したという話
この辺までは当たり前〜なお話ですね
万が一があったかも、っていうか、適当なボーカルならその辺にいたじゃん!っていうやつ
何が言いたいかっていうと簡単なことです、1995年にはエレロマにてexpdしたボーカルがその辺にいるわけです。
本当にボーカルいなくてだれでも良いならTMRなんてプロジェクトさっさと撤回して「とりあえず西川お前ボーカルやっとけ!Icemanな!」とすればいい話
西川なんて1年近くプロジェクト準備の期間があったのでそれまでにいくらでも、どーーーーにでもって話です
まあ、普通に別のプロジェクトや契約ってものがある限り別のものってのはわかり切ってる話ですが、可能性ってもんはいくらでもありますので(適当な潰ししとく程度)
じゃあ葛山信吾でええやん!ってなります?
→たぶんこれも違ったんだろうね、結果論でしかないけど
いい意味で誰でもいいが100人のデモを乗り越えた黒田=ニューユニットの構築ってのはやはりしっかり作られた何かだったのだろう
色々条件だとかもあるが、新人ボーカルやメンバーが必要だったのだろう
で、おそらくそれはキャリアというものもない方がよかった気がする(1995年にあった前例ってやつがあるので、勝手にそうだろうと思うところもありつつ)
そんな感じでIMの経緯ってとても不思議というかとってもいろんなことに配慮だとかこだわりとかありつつ大変な結成だったのだろうなって思っているところです(そのまんまでした)
何があったんだよっていうテーマ
私は浅倉大介さんという方は個人的な謎感情などはそんなに曲にしたりしないはずだ、という願望的なものを常に持って生きています。
ですが、そういうことも確かにあるからとても普通に感情を音楽で表現しているんだな?と思うこともあります。
それの代表格がこちら!
BREATHLESS NIGHT SLIDERのテーマは社会に対する悲痛な叫びだった
ハァアアアア?!!!ですよ
当時の日本になにかが起こっていて、それに対してとか十分考えられるんですけど、「社会に対する」の矛先がしっかり言われているわけでもなかったような
いや、言っているかもしれないけどね?私にしっくりこなかったので多分全て忘れてるんすけどね
何が言いたいかって、確実にこれ「浅倉大介が社会での息苦しさを曲にした」っていう感情論なんですよ(おそらく)
作詞 浅倉大介でない限り、真意は謎でしかないんですけどね。
インタビューでそれっぽく別のことを引き合いに出し、まろやかにまとめるというのはとてもやっているなぁと思ったりするので
嘘だと思っているわけでないが、本質は他のことに例えてらっしゃるなぁと思っているのが本音。
メタいがそうとしか思えないのでいたしかたない。
何にせよ「セカンドシングルが社会への息苦しさって何やねん、何に怒ってらっしゃるねん」という謎ユニットIcemanでしかないと思ったりする。
伊藤が言うIMが温室育ちということの恐ろしさ
黒田の黒い本の中でとっても印象に残ってるところの中に「イライラしたこととかの話を伊藤が聞いてくれた」というような内容の話があったりしました
簡単にいうと黒田が(おそらく)不満があったりして愚痴をこぼすようなことがあったりするが、唯一のライバルであり戦友的なメンバーである、同じようなポジションである伊藤に話を聞いてもらうことがあった。
その際に伊藤は「仕方ないよ、僕らは温室育ちだから」というようなことを言って宥めてくれた、というような感じでしょうか
黒田も伊藤も全く同じ感覚ではなくとも、急に人生の転機となったIceman加入というものを手放しで楽しんでいたわけではないという典型的な話を見たというところかなと
裏側なんてしったこっちゃないし、これを言っている黒田も、そういう色んなものを理解し必要ないところは絶対に言わないというのが前提なのですが
二人ともこのIMの激動というのに確かに翻弄されていたところはある気がします、それが置かれていた環境が温室だったって話です
そんなに謎と思うことあるか?と思うかもですが私は謎と思っているところもある
1998年夏におそらくEPIC SONYとの契約が2年で終了
馴染み深いアンティノスへ移籍しているのは後から見たらとってもふつーーーーの自然な流れなんですが、果たして本当にすんなりだったのか?という感じです
きっかけはまた黒田の黒い本なんですが、なんとなく「移籍先を宙ぶらりんになりながら探した」的に読み取れることが書かれてるんですよね
その間ライブがあったりしたから紛れてるところはあるが、1998年の夏から1999年1月まで確実に一度置いとかれてるIMがいるんすよね。
その中で不思議な扱いで出演するBSヤングバトルという1998年末あたり放送のNHKのオーディション?番組。
どう考えてもこの番組でのIMの扱いってめちゃくちゃ豪華なんですよ
スペシャルなゲストIM、うーん、この扱われ方、なんでだろう、TEEN'S MUSIC FESTIVALだとかEOSのイベントだとかみたいな印象を受ける?ような?
このIMは一体どこのレコード会社に所属しているアーティストなんでしょうね?
だから何って言われそうですが、わからないんですよ(調べてないだけだけど)
何が言いたいかって、色々息のかかったアンティノスに移籍なら一瞬だったんじゃないのか?事務処理で半年かかるか?
よくある芸能人の事務所変更?とかで1年何もできない縛りはレコード会社にも同じこと言える?ライブなら、番組出演ならいい?
つーかアンティノスのウリは即リリースって言ってたやん?って感じのふんわりした疑問の話です
なんやかんやで「アンティノスが拾ってくれた」みたいな何かがあったりしたんじゃないか?
そしてその間に何かのお試し?とかYAMAHAとかのお付き合い?とかで出たのがこの番組だったんじゃないのか?
みたいなことです。
それと、1998年の前半の出来事として関係ありそうだなぁと思うのはやはり事務所の独立。ダーウィンの設立でしょうか。
別に「怪しい何かがあって抜けた」と思ってるわけではありません。良い方に拡大させようとして独立っぽいなとちゃんと思ってます。
その結果の自由度の高さはIMにどう影響してたんだろうな?という感じです。
アンティノスで永遠に活動とか何故しなかったの?問題
結果論なんですけどね、1999年の1年くらいでGATEシリーズでさようならーって印象になってるのですが、これも実際のところ6月〜12月の半年間で3枚のアルバムを出します!というのが正しい告知であり計画だったんですよね
IMがGATEシリーズで活動してるのは1999年という印象がでかすぎるのでなんとなくぶれるのですが、本当にIcemanでアンティノスからCDを出していたのは1999/06/06〜1999/12/31まで。
DA's partyのVHSは2000/02/14発売。(ついでに2000/01/01のライブの映像OAも同じ日だが、黒田は番組のトークには出演なし)
最後にIceman名義で出してる2000/04/01のundergateは本なので一応ソニーマガジンズから。
IMとしての半年の契約的なのをフルに使い切っていたっぽい気がするぞこれはとなりませんか。なりますよね。なろう!
IMでのGATEでの本当の「実験」とは、本当は「限られた時間と与えられたチャンスを限界までやりきる」だったのではないかなと思ってしまうのです
簡単に言葉にされる「売れなかったから続かなかった」ほど安易なものはありません
そりゃそうだ、で?その内訳は?という話です
1999年に浅倉大介はどこまでの何のラインをクリアしたらIcemanを続けたのでしょうか
おそらくそんなラインはなく、それなりに決まっていたような雰囲気を感じます
半年IMで何かやってみて、好きにしていいから。みたいな感じです
ついでに言うとこの半年の契約っぽい期間は最大でも2000/03/31(年度末)であり、これに関わるのは黒田倫弘がいるIcemanの新譜の発売に関してではないのでしょうか
さらについでに言うと、この半年をフルで使い切りすぎていて怖いくらいです
なぜなら裏では全く同じような期間で-eの三部作を展開しています
こっちもなぜ、同じ時期に同じアンティノスとダーウィンの所属アーティストが改名をして三部作形式のものを6月から作り出しているのか
全く別の動きをしているように思えますが実は色々似たことをやったりしている
各アーティスト別々に動いているようだが、やはり全て浅倉大介のプロジェクトという1本なんだなぁというかんじ
また、自称関係者のお話しで色々噂というものはいろーんなところで見たりします
が、その辺はうざいので省いて考えたいところ(といいつつ要素としては超見るんですけど)
-eの名称でのリリースはDVDとVHSが2000/07/26が最後
-eの新譜のリリースは2000/02/02のsuite seasonがラスト
T.M.R.でのリリースへの切り替えは2000/04/19
なんというか、年度末切り替えを綺麗に感じてしまうのです
色々楽だからとかありそうですが、わかるわけないと思いつつもIMの半年とは何だったのか知りたくてたまらないのが本音
浅倉大介が何とどう戦っていたのか、自分自身だとかへの挑戦とかそういう熱血みはあまり感じないような気がしています
どんな目標があったのか、めちゃくちゃ面白いなと思ったというお話でした
さらなるついで、現実的に見たaccessの復活の話
2002と時期も飛ぶし、これこそ結果論でしかないが
当時を見ていた身として「現在違った認識がされてるな」と思うことがたまにあります
accessは復活をずっと狙っていたようなものだったのか?という話です
当時の感覚として「access復活って期間限定なんだろうな、復活だし」とすごく思っていた
正直現在こうやって活動しているためもうそんな感覚も忘れきっていたのが本音です
ですがこうしてIMやこのころの話をしたりすると「accessやるために色々活動を変えたよね」という話が出ます
正しい認識と思うのですが、accessへの思い入れがあったからという感情での判断というかというとすっごく「ちょっとねじまがってる表現くさいな?」と言いたくなっちゃうやつです
access復活は一つの活動スタイルの変更だったでしょう
それだけのために全てを、みたいなのは流石になんか私が社会に対する息苦しさを感じます
2000〜2001年の色々やりまくっていた浅倉大介プレゼン資料集みたいな活動を見てないのかとちょっと言いたくなってしまったりします
あんまり感情的になるのはよろしくないのでこの辺でやめときますが、色々ちゃんとお仕事してたいろーんな出来事があったっぽいやつは面白いから無視しないでほしいなっていうウザ主張でした
ついでに2004からの20年も私は一応無視はしていない
ただ、やはり2004から後というのはしっかりと流れが切り替わったのだとわかるので上記したようなことは一切通用しない、別次元の出来事と思ってはいる
セオリーだ、傾向だとそんな話ばかりしているが、全部そんなものに当てはまらないことばっかりしているのが浅倉大介だと改めてなんとなく実感したりしました